脳幹出血からの帰還8 退院とその後(1)
驚く家族 退院の報を受け、家族が一番驚いたようです。それもそのはず。一時はいのちすら危ぶまれ、その後も後遺症で全く動けない寝たきり生活等も覚悟していた(「生きているだけで丸もうけ」が合言葉だったというのだからそうだろう…
驚く家族 退院の報を受け、家族が一番驚いたようです。それもそのはず。一時はいのちすら危ぶまれ、その後も後遺症で全く動けない寝たきり生活等も覚悟していた(「生きているだけで丸もうけ」が合言葉だったというのだからそうだろう…
「快適」な病院生活・独歩 1月末頃、回復期リハビリ病棟への移転が決まる。ここからの病室生活は言い方は変だが「快適」だった。病室は窓際のため、近くには運動施設や学校、遠くには子どもの頃から見てきた山々という具合にいい眺め…
回復のペース/車いすから歩行器へ 1月下旬以降の回復のペースは(周りの想定以上に)速いものだった。1月の終わり頃には車いす移動から歩行器に変わる。はじめはこわごわ歩行器に頼って歩いていたが、数日で歩行器が邪魔と言うくら…
体重激減・自分で歩き出す 入院生活が1ヶ月を過ぎるころ、歩行訓練を始めた当初は満足な方向すら向いていなかった左足が、力をつけ始めて歩み始めた。といってもまだ本来の力はない。この頃のやせ細った脚をみて自分で驚いている。リ…
初期の頃(私にとっての初期とははっきりとした記憶のある1月中旬以降)は絶望のほうが大きいものだった。寝たきり、何をするにもナースコールが必要、おむつをはき、下の処理もすべてお願いする立場だった。 絶望の中の希望・リハビ…
意識がはっきりする はっきりと昼夜が区別でき、現状が把握できるような意識が戻ったのは1月半ば近くだろうか。その頃私はHCUから一般病室に移っている。病室で寝たきりの自分。左の手足がほとんど動かせない自分(この頃は本人も…
本人は入院してその後長い入院生活を送っただけだが、残された家族は大変だった(らしい)。 代わりがいない・事情が分からない 個人で一人で塾を運営していたので代わりの人はもちろん、内部を把握している人もいない。そもそも塾の…