脳幹出血からの帰還22 入院時の思い出(3)
入院時は(特に回復期病棟では)「快適」だったと前に書いたが、そうでもないときもあったと言えばあった。 あるとき隣の患者さんが病室の入り口付近で倒れてしまった。彼は松葉杖をついている整形外科?の初老の患者だったが(回復…
入院時は(特に回復期病棟では)「快適」だったと前に書いたが、そうでもないときもあったと言えばあった。 あるとき隣の患者さんが病室の入り口付近で倒れてしまった。彼は松葉杖をついている整形外科?の初老の患者だったが(回復…
さまざまなスタッフ 入院していると病院スタッフも様々だと分かる。医師や看護師さん・准看護師さんだけでなく(誰でも思いつくだろう)、理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さん(これらはリハビリに携わる人たち)、介護福…
「快適」な病院生活・独歩 1月末頃、回復期リハビリ病棟への移転が決まる。ここからの病室生活は言い方は変だが「快適」だった。病室は窓際のため、近くには運動施設や学校、遠くには子どもの頃から見てきた山々という具合にいい眺め…
回復のペース/車いすから歩行器へ 1月下旬以降の回復のペースは(周りの想定以上に)速いものだった。1月の終わり頃には車いす移動から歩行器に変わる。はじめはこわごわ歩行器に頼って歩いていたが、数日で歩行器が邪魔と言うくら…
体重激減・自分で歩き出す 入院生活が1ヶ月を過ぎるころ、歩行訓練を始めた当初は満足な方向すら向いていなかった左足が、力をつけ始めて歩み始めた。といってもまだ本来の力はない。この頃のやせ細った脚をみて自分で驚いている。リ…
初期の頃(私にとっての初期とははっきりとした記憶のある1月中旬以降)は絶望のほうが大きいものだった。寝たきり、何をするにもナースコールが必要、おむつをはき、下の処理もすべてお願いする立場だった。 絶望の中の希望・リハビ…
意識がはっきりする はっきりと昼夜が区別でき、現状が把握できるような意識が戻ったのは1月半ば近くだろうか。その頃私はHCUから一般病室に移っている。病室で寝たきりの自分。左の手足がほとんど動かせない自分(この頃は本人も…