逃げていても仕方がない。

英語は大学受験でも(ほぼ)必ず課される科目。
普通科に進学して大学を目指すというなら
英語を避けては通れません。
エラーを恐れて向き合うことをためらっていたら
いつまでたってもまともに吸収できないでしょう。
鎧を脱ぎ捨てて、捨て身で向かっていかないと。
まあそんな話を、今日しました。
 
 
 
 
・・・・・・なーんて書いている私も
高校生活の前半は、どちらかというと
英語から「逃げて」いました。
だってつまらなかったんだもん(^_^;)
いやあ、中学時代はむしろ好きでしたよ。
まあ「数国理社並みに」好きでした。
ところが、高校に入ったら
つまらない(と感じた)文法の授業と
aから始まる無味乾燥な単語テストの連続。
私と同年代以上の方ならご存じでしょう。
当時、高校では「赤尾の単総」を使っていたのです。
気の利いた今どきの参考書と違って
aから辞書配列で並んでいるだけの
本当に面白くも何ともない単語集。
あれを最初から順番に単語テストするなんてのは
ほとんど拷問です。
ab-とかac-なんて接頭語がある関係で
1回のテストの範囲に
似たような単語ばかりが並んで出題されます。
それが延々と続くわけです。
あれで私は英語に対するやる気を
すっかりなくしてしまいました。
気がつけば、英語は自分の中で苦手教科に。
1年くらい、そのまま放置しておきましたが
高2も半ばを過ぎたころに、
このままでは拙いなと思いました。
その後数ヶ月、いろんなものに手をつけましたが、
どれもあまりうまく行かず・・・。
そこで気づいたのです。
勉強の仕方がどうこうという問題じゃない。
一度モチベーションを失ってしまった教科を立て直すには
何より気力の再建が重要だと。
もう一度、学習意欲を旺盛にして吸収力を高めるには
結局「好き」になるしかないと
思い至ったのです。
今もあるのかどうか私は知りませんが
北高には「卒業生からの手紙」という
卒業生の合格体験記のような冊子が
配られていました。
(ちなみに私も卒業後に寄稿しています。記憶違いでなければ、確か妹も。つまり北高に行った子たちは「バックナンバー」を探せば、私が何年度の卒業か分かる=年齢が分かるわけです。そういえば、ずいぶん昔の卒塾生が進路室に行って「卒業生からの手紙」のバックナンバー見せて欲しいとチャレンジしたことがあったとか。高校の先生に断られたそうですが(苦笑)。まあ○年も前のバックナンバーですから,今じゃ高校にも置いてないかもしれませんね。)
読書が好きな人が、
名古屋の大きな書店まで行って
ペーパーバックを手に入れ、
英語に慣れ親しんだ、なんて話が出ていました。
英字紙を読んで鍛えたという人の話も。
これだ、と私は思いました。
当時の私は、新聞を読むのがとても好きでした。
これを利用しない手はありません。
嫌いになってしまったものを
好きなもので包みこんで飲み込む作戦。
学校の図書室に英字新聞が置いてあることは
知っていましたから、
毎日、休み時間や放課後に図書室に出かけては
ポケット辞書を片手に読むことにしました。
最初は語彙力がなく、
本当に何も分かりませんでした。
とりあえず、誰でも分かりそうな
天気欄やスポーツ面から。
そのうち1面記事が分かるようになります。
大きな事件や政治の動きは
日本語の一般紙と扱う内容が重なりますから
類推しやすいんですよね。
慣れてくると(結構時間はかかりましたが)、
日本の新聞では取り上げないような外報面が
一番面白くなり、
そうこうするうちに学校で読むのが
(他の人とのとりあいにもなって)
面倒になってきたので、自宅で購読。
以後、大学生まで読んでいました。
今は英字紙なんてとらなくても
ネットで英語の記事をいくらでも見られますから
便利なものですね。
 
英字紙を毎日読むようになると
英語のニュースも少しずつ聴き取れるようになります。
といっても私の場合、CNNをダイレクトで、
なんていう英語力はまだなかったので
まずはNHKの7時のニュースの副音声から。
やはり類推しやすいからとっつきがいいんです。
だって画面には日本語で
ニュースのタイトルが出ているわけですし(笑)
まあ最終的には、
画面を見ちゃうと面白くないと思うようになり
ラジカセでテレビ音声だけを聞いていましたが。
こうしてアレルギーになりかかっていた英語と
向き合う姿勢を回復させつつ、
本格的な参考書に取り組み始めました。
適当な「学習」のせいで
きっちり訳すということが疎かになっていたので
その点の修正は必要でしたが
英語とどれだけ向き合っても
飽きることはなくなりました。
学習のはかどり方が
以前と全然違ったように思います。
 
 
 
これは今から○年も昔の自分の経験ですから
今の時代にどの程度の参考になるものかは
分かりませんが
私の場合、続けられた最大の要因は
「気楽に」やっていたからでしょうね。
これを堅苦しく
「社説を毎日スクラップして」とか
「コラムを訳して」なんていうことから
いきなり始めようとしていたら
たぶん長くは持たなかったでしょう。
3日も持たずに挫折していたかもしれません。
先ほど述べたように
モチベーションの回復が最大の目的だったので
堅苦しくやる必要もなかったわけです。
 
嫌なものを学ばなくてはいけないとき
嫌なものであっても辛抱して粘り強く学ぶか
自分なりに工夫して吸収しやすいものにするか
いずれかでしょう。
どちらでもいいんです。
学習がはかどればいいわけですから。
自分なりに工夫してやる能力というのも
学習者には大事な能力です。