あれから5年が経った。

2020年12月24日早朝、私は何の前触れもなく死にかけた。

脳幹出血。

それは本当に突然やって来た。

出血量は多かったとMRIの画像を見せながら医師は言う。
今でも会うたびに「驚きの」「強運の」「よくぞ」と言ってくれる。
実際、発症直後は酸素マスクをつけて左半身不随の状態で寝ていた。
口から食べ物も通せなかった。
しばらく声がハスキーボイスの別人のようになっていたりもした。
その一連の顛末についてはこのブログの過去記事にもさんざん書いてあるからここで止めておく。

あれから5年が経った。
今では自分が半身不随だったときの状態をうまく思い出せなくなっている(普通の人と同じように動いている。運動神経が鈍いのは元々だ)
もちろん普通に仕事して生活しているし、声も普通に戻っている。
「こいつまた倒れるんじゃないか」と警戒された方面もあったようだが、そんなこともなく5年が経った。
もちろん健康には気をつけている。
倒れてから復帰するかどうかには一時逡巡もあったが(当時は身体に自信がなかったのが大きい)、現場に復帰したことは大正解だった。
復帰したことでそれを待ってくれていた子を高校に送り出すことができた。
復帰したことで新しい出会いがあり、その中で今春もそうだが嬉しい思いをたくさんさせてもらった。
「墓前で大学合格を報告するつもりだった」という卒業生もいたが、それを笑い話にできて大学合格の報告を受けたのは生きて戻ってきたからである。
何よりあの年、受験を目前にして他塾に後事を託すことになった生徒たちが、春に無事合格して高校に進んでいくのを見届けることができた。

あれから5年。
長かったような、短かったような。
様々な思いが溢れるが、書いて整理ができないほどの洪水状態になっている。

12/24は世間ではクリスマスイヴの華やかな日だろうが、私にとっては「自分が死にかけた日」「運命について考える日」であり、しみじみとする日なのである。
だから30年前にタイムスリップしている場合ではない(昨日の続きは明日書くことにする。他に取り上げるニュースがあればさらに先かも知れない)

  

岐阜県大垣市の学習塾「賢学塾」です。

 

   

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