デジタル教科書は100年前の金解禁と同じ?
前にも書いたデジタル教科書を巡る懸念。
読売新聞は以前からこの問題に結構こだわっている。
読売新聞はとっていないけれど(電子版だけの契約もできない)、無料記事だったので全部読ませてもらった。
AIデジタル教科書「行き過ぎ」、韓国では揺り戻し…記憶に残りやすいのはデジタルより「紙」との研究成果も : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20251203-GYT1T00445/
デジタル教科書は、検定や採択、使用義務の対象となり、文科省は2030年度から学校での使用を目指す。
韓国は2015年から全学校でデジタル教科書を解禁し、22年には、ほぼ全ての小中学校で使われている。
しかし今、突き進んだデジタル化からの揺り戻しが起きている。6月に政権交代があり、8月には韓国国会がAIデジタル教科書については「教育資料」に格下げする法改正案を可決した。
デジタル先進国として知られる北欧ノルウェーでは近年、15歳を対象にした国際学習到達度調査(PISA)で、読解力、数学的応用力、科学的応用力の全てで順位が低下している。読解は15年の9位から22年は25位まで落ちた。
経済協力開発機構(OECD)がPISAを分析した21年の報告書では「紙で本を読むことがデジタルよりも頻繁である生徒は、読解の成績がより高かった」と指摘した。
内科医の山田正明・富山大医学部准教授(47)らの研究グループは昨年、記憶に残りやすく集中できる学習はデジタル機器よりも「紙」だ、とする研究成果が英国医師会雑誌に掲載された。
研究成果はフィンランドで開かれた学会で発表。終了後、参加者らは口々に「北欧諸国ではデジタル教育による学力低下が問題になっている。子どもたちが集中できず、教室が荒れやすくなった。『Return to book』だ」と話したという。
上の記事の最後のほうにある「北欧諸国ではデジタル教育による学力低下が問題になっている。子どもたちが集中できず、教室が荒れやすくなった。『Return to book』だ」という記述が特に気になった。
2030年度以降の学校現場はどうなるのだろう。
これらの不安が杞憂に終わる⋯とよいのだが、先行している国で実際にこういう事が起こっているのだとしたら杞憂ではなさそうである。
ここで突然、全く関係ないが経済の歴史の話。
第一次世界大戦のとき、欧米各国が「金本位制」を停止し金輸出を停止した。
同じ頃に日本も停止。
戦争が終わった1920年代、停止していた各国が金本位制に復帰していったが、大戦景気から一転しての戦後不況、首都圏を壊滅させた関東大震災、さらに金融恐慌と続いた日本には復帰に踏み切る力がなかった。
そしてようやく踏み切ったときには世界恐慌が既に来ていた。
どの国も金本位制の維持が難しくなっていた頃だった。
そして各国は金本位制から離脱。
経済の悪化をもたらしただけに終わった日本も2年ほどで金輸出を再禁止、金本位制を放棄することになる。
世界は金本位制に見切りをつけ、今のような管理通貨制度へと移っていく。
このデジタル教科書を巡る問題もこれにちょっと似ている気がする私は「後ろ向き」の部類に入るのだろうが、紙が至上、紙がすべて、紙じゃなきゃ嫌だというほどの紙原理主義者?でもない。
便利になることについてはデジタル技術もどんどん使えばいいと思う。
ただし、その便利は教育においては子どもの力を伸ばす方向にはたらく便利でなければならない。
生活の効率化が目的の社会のデジタル化とは性質がちょっと違うのだ。
教育現場の効率化も大事かもしれないが「効率化の結果、子どもたちの力が伸びなくなりました」では効率化の意味がないのだ。
それはただ「カリキュラムの消化が効率よく終わった」というだけのことなのだ。
日本は「他国がもうやっているのにまだだ。遅れている。急いで入れないと」と焦ってはいないだろうか。
「バスに乗り遅れるな」とばかりにデジタル教科書の潮流に乗り込もうとしているが、そのバスの車内ではもう降車ボタンを押そうか迷っている客が多かったと。
気がついたら日本だけが乗客で残っていて「まだ乗っているの?」ということにならないだろうか。
日本の子どもだけが不利益を被るような結末だけは避けてほしいと思うのだった。

