デジタル教科書への懸念
次の指導要領から本格化するとされているデジタル教科書についての記事。
デジタル教科書「懸念」90市区教育委の6割、視力低下や通信障害心配…読売アンケート調査 : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20251117-OYT1T50211/
国が目指すデジタル教科書の正式な教科書化について、政令市など90市区の教育委員会のうち、6割が「懸念」を持っていることが読売新聞のアンケート調査でわかった。児童生徒の健康面や学習への影響などを心配する声が多く、「紙中心」の教科書を望む教委は全体の半数だった。
記事タイトルにあるような「視力低下の懸念」とかは(些末と言っては何だが)根本的な話ではなく、いちゃもんレベルかもしれない(違う解決策もあるだろう)。
漠然とした不安なら新しいどんなことでもよくあることだ。
しかし、単に新しいものへの抵抗とはかたづけられない面もある。
先行している諸外国に紙への「逆流」もあることをもっと注意深く見ないと、先行事例があるのに学ばない愚かな政策ということになってしまう。
デジタル教科書、確かに便利だ。
AIの時代になり、今よりもさらに便利になり今以上に個人の能力に応じて寄り添える未来も見えている。
その中で教科書も進歩する必要があるだろう。
ということは同時に弊害もさらに露わになってくるに違いない。
駄目なら変えればいいからまずはやってみようという精神は子ども自身にとっては大切なことだが、教育システム全体がそれをやると子どものほうが犠牲になる(今世紀で言えばいわゆる「ゆとり教育」がそれ)。
国はずっと前のめりだが(「出遅れている」という焦りもあるのだろうか)、先行事例をよく分析してより多角的な検証をしてから最適解を考えることを求める。
それが「出遅れている」国のアドバンテージなのだ。
出遅れを逆手にとってアドバンテージにしないといけないように思う。

