20年で7600の小中学校が廃校…統廃合巡り保護者や地域との合意形成に壁、文科省が事例集公表へ : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20250906-OYT1T50060/
少子化による学校の統廃合が全国で進んでいる。自治体は再編により特色ある学校をつくるとして、保護者や地域住民の理解を得ようとするが、合意形成に苦しむ例も多い。
20世紀、小中学校も高校も大学も、学校はどんどん増えた。
子どもの数が増えたし、高校や大学については進学率もどんどん上がっていったのもある。
21世紀、いっそうの少子化が進んで(少子化そのものはもう数十年続いている)、広げたものをいかにたたむかという時代になっている。
この西濃地区でも、多くの市町で小学校の統合話が持ち上がっているか、もしくは既に統合が進んでいる。
たとえば養老町では以下に取り上げる通り小学校の統合を進めようという方向で話が進み出したし(以前ここでも取り上げたように大野町も同様に動き出した)、海津市や揖斐川町では実際に統合がだいぶん進んでいる(揖斐川町はさらに統合を進めるような話を以前ここでとりあげた)。
関ケ原町では2021年に今須小中学校が閉校した結果、町内に小中学校が1つずつの配置になった。
養老町については先月こんな記事が出ていた。
岐阜県養老町の小学校、7校→2校に 検討委が答申、教育長「合意形成図りたい」:中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/1119943
養老町内の小学校を2つにする、つまり中学校(東部中・高田中)と同じ体制になるということだから、通学も大変になるだろう。
そのあたりがどうケアされていくのかも気になるところだ。
ところで、話が遡って関ケ原の今須小中学校(閉校)の話。
高校の時の同級生に今須出身の子がいたのを思い出す。
関ケ原駅からでなく、柏原駅から電車に乗って通っていたそうだ。
つまり毎日、岐阜県から滋賀県に出て岐阜県に戻っていたのである。
彼の家からは関ケ原駅から乗るよりもそのほうが近いし便利ということであった。
今須といえば、かつて「関ケ原青少年自然の家」という県立施設があった。
この地域の小中学生は昔はたいてい小5や中2の合宿でお世話になっていたはずである。
私はそれに加えて小中学校のとき両方でJRC(青少年赤十字)の合宿行事に学校代表で参加したのを覚えている。
さらに何だったか忘れたが別の行事でも行った覚えがある。
ずいぶんお世話になったものだ。
懐かしい思い出である。
国道から自然の家に通じる道路の入口といっていいあたりに今須小中学校はあったはずだ。
閑話休題。
私が子どもの頃、西部中学校は「マンモス校」(北中学校もかつてはマンモス校だったそうだが星和中ができてからはマンモスではなくなったと聞く)だった。
私の通っていた中学校はそんなマンモス校とくらべるとだいぶん小さい中学校だったが、今の西部中学校の規模が私の通った中学校の当時の規模に近いのだから、いかに全体として少子化が進んできたかということである。
この前も書いたように、上石津地域で小学校を統合し、中学校とあわせて1つの義務教育学校とした大垣市。
旧市内に限って見ると一番小さい川並小学校でもまだ全校生徒が100名以上いる。
今のところただちに小中学校の統廃合を進めないといけないという話にはなっていないはずだが、急激に少子化が進行している中で、私が子供の頃から変わらないこの小中学校の配置がいつまでも続くことはないかもしれない。
いずれ将来、どこかで向き合う可能性はないとはいえない話だから、今、周辺の他の市町で進んでいる事例を他人事と思わず注視していく必要があるだろう。