ここに紹介する記事は中学受験に関わる話のようだが、別に中学受験する人たちやその関係者を腐したいわけではない。
受験全般で考えれば(別次元の世界とはいえ)高校受験だって「受験」だから天に唾するかのように受験界を批判しようというのではない。
令和のリアル:「この成績じゃ未来ない」私立中の不登校急増 中学受験後の誤算とは | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20250827/k00/00m/100/225000c
「本当に『エイエイオー!』みたいな雰囲気で。その『圧』がだんだん嫌になっていった」
塾屋のくせにと言われそうだが、実は私もこういう雰囲気は苦手。
弊塾卒業生なら知っているが、うちの塾でこういう類のことをやったことがない。
ほかにもみんなではちまき締めて授業開始!とか(個人が好みでしめる場合は強くは止めないが私はやらない)順位を張り出すとか(本人がこっそり励みにしておけばいい)点数を張り出すとか(これも本人だけで(以下略))、そういうことは開校以来一度もやっていないし、今後もやるつもりはない。
以前から書いているように良い悪いではなく、私個人が苦手なのだ。
思えば高校生のときから苦手だった。
数十年前、当時の北高は県内某高が猛烈にやって大学合格実績をあげていることに明らかに焦っており(今の人には信じられないだろうが。当時の某高は以前もここに書いたが相当苛烈にやっていたらしい)、校長からもときどき大学受験に関して「圧」を感じる訓話を聞かされていたが、そのたびに周りの同級生たちと反発し、辟易していた。
そういう同級生たちが「圧」から逃れたいばかりで逃げて逃げて大学受験にも失敗したかと言えば全然そんなこともないし(むしろ受験の「結果」は比較的出ていた学年だったと思う。当然後から知ったことだが)、その後いまはどうかというと各方面で目立った活躍する人も結構いて、あの当時私はずいぶんと恵まれた環境にいたのだなと思う。
当時を振り返ると「反発」する代わりに自分でやることについてはみんな意識が高かったように思う(実際にやっていたかは人それぞれ)。
もちろん全員がというつもりもないが。
昨日の話ではないが、やるのもやらないのも最後は本人次第なのである。
ただ、そのときに周りの環境がどうだったかということは影響する人が多い(全く影響されない「強い人」もいる)。
そういう意味では記事中の人は「強い人」だったんだろうと思う。
「自分で情報を集めて、頭の中にある『世界』を広げてみてほしい。私も、いろんな選択肢があるんだ、と知って心が楽になった。学校の進路も将来の夢も、自分の知らない、いろんなルートがあるはず」
この記事を読んでこの人が偉いなと思ったのはここだ。
自分で動いたからこそ今があるのだろう。
こういうふうに動ける人は本当にたくましい立派な人だ。
敷かれたレールの上を歩んでいるのではない。
誰もがこういうたくましい人になれる可能性を秘めているが、同時に誰もがこういうたくましい人になれるわけではないことも事実である。
人生の歩みはレール(鉄路)ではなく、道路のようなものだと思う。
いろんなルートがあるし、幹線道路から路地や畦道までいろんな道路がある。
ルートがなければ自分で荒野を踏みしめて、けもの道から自分で作る強い人もいる。
そんな強い人は尊敬するほかないが、一点だけ、いろんなルートがあることについては私も身を持って示すことができる。
大学の同期が法曹だ公務員だ政治家だ金融機関だ大企業だと歩みを進めていく中で塾講師をやっているわたし。
自分で選択した道である。
選んでよかったと今も思っているし、ここまでずっと続けてこられたのは本当に幸せだと思っている(みなさんのおかげ)。
だから「塾講師になれ」と言っているのではない。
むしろ相談されれば「塾講師はやめておけ」と言うだろう(塾講師の是非を論じる以前に超少子化社会である)。
いま将来に漠然とした不安を抱えている子に対して「いろんな生き方があるしこんなふうにも生きていけるからどーんと構えていこうよ」ということが言いたいだけだ。
ただ、そのためには学力は(程度や中身は別にして)あったほうが役に立つ。
そういう「すべての人のための基礎学力の世界」である高校受験界隈がわたしは好きなのだ。