誰のためのデジタル教育か

学校だけでなく塾業界もタブレット学習に突っ走っている昨今だが、それに対する警鐘記事が6/16(月)の中日新聞朝刊に載っていた。


デジタル教育のひずみは? 臼井康兆・論説委員が聞く:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/1082915

 学力については結果が明らかです。経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)で、授業でICTを使う時間が長いほど学習到達度が下がっているのです。日本の全国学力・学習状況調査(全国学テ)でも同様です。長く使うと読解力や数学的リテラシー、自分の頭で考える力が低下すると言わざるを得ません。

 タブレットなどは物事を幅広く調べたり、他人とつながって学んだりする作業には有効ですが、思考をじっくり深めることには向いていません。

 スウェーデンは日本より10年早く1人1台端末を進めましたが、学力や集中力の低下が著しく、デジタル教科書を「紙」に戻す法改正が行われました。国連教育科学文化機関(ユネスコ)も、デジタル教育の効果に確たる証拠は少ないとのリポートを発表しました。先進国では効果を冷静に点検する段階に入っていますが、日本だけが活用に突っ走っています。


弊塾では取り扱っていないが、塾でも導入するところが増えてきた。
タブレットを使って学ぶ個別指導を謳って全国展開しているチェーンの塾もあれば、集団授業の進学塾を装って実際には塾に滞在する時間の大半がタブレット学習だったりする大きめの塾もある。
学校のことは知らないが、塾に関していえば そうしたほうが「人」に関する問題で悩まずに済むからだろう。
タブレットに(塾の核心ともいえる)教えることまで任せてしまえば、(中核的な部分の)人手の確保で悩まなくていいし人件費も抑えられる。
どこの個別指導塾でも最大のネックになっているのは指導講師の確保(学生のバイトが基本だろう。京都など学生の街ならいざ知らず、大学が多くないこの地域で有能な学生バイトを探すのは簡単ではない。さらに確保した学生も数年で学生ではなくなるので常に人材確保に追われる)だし、集団授業の塾も良質な講師は簡単には確保できず、そんな中で収益を上げようとあれこれ手を出してオプションコースのバリエーションを増やしたら(雇用形態は問わず)従業員がますます必要になるところ、こうした問題の多くをデジタル学習の形態がカバーしてくれる。
学習効果のほどはわからないが、指導の体は整う。
外食産業でタブレット注文が当たり前になり、ロボット配膳が珍しくなくなった
ように、「産業」の端くれである塾がタブレットを使うのは、生徒のためというよりは運営側の効率化・高収益化のため(もちろん人を使わないので価格を安く抑えられるということになればご家庭の負担を軽減することにもつながるから顧客のためでもあると言われればそうなのだが)

・・・とまあかなり否定的にも聞こえる調子で書いてきたが、私自身、タブレット学習を全否定するつもりはない。
生徒にとって本当にためになるもの、生徒たちの学習がさらに深く広く大きくなるものであればどんどん入れればいい。

新しい道具には功罪がつきもの。

先述の外食の例でいえば「いちいち店員を呼んで注文を伝えなくてもタブレットで気軽に注文できる」と喜んでいる客もいるかもしれないし、言い間違いや聞き間違いも防げる(押し間違いはあるか)
ICTの活用は今や社会の隅々にまで行き渡っている。
「自動車を使うと足腰が弱るから」といって徒歩だけの生活には戻れないのと同じことで、ここで「ICTなど必要ない」「タブレットは無駄だ」などという極論を展開するつもりもない。
どう向き合っていくのか、弊害にどう対応するのかが問われている。

閑話休題。
タブレット学習の「功」のほうの話だった。
使いようによっては大変便利なものであると私は思う。
ふだん、紙の教材をたくさん持って塾に来る生徒たちを見ると(弊塾生はテキストにプリントファイルにノートにと毎回の荷物が多い。弊塾卒業生は体験しているが、特に中3後半ともなるとそれが深刻になる)彼らの負担を軽くするためにタブレットも有効ではないかと思うときもある(重い荷物を運んでいたら学力がつくというわけでもないから、荷物は軽いほうがよい)
が、
仮に導入するとしたら、その使い方は慎重でならなければならないということだろう。
「ICTは万能でそれが活用された世界の教育は薔薇色」というわけではないことは肝に銘じておきたいところである。