2018年3月8日を終えて (1)

入試当日の朝を迎えた。
目覚めは去年よりも遅い。
昨日から何度も天気予報を見ていて、雨への備えをどうするか思案し、試行錯誤しているうちに、帰宅するのも床に入るのもすっかり遅くなってしまったのだった。
カーテンを開けて外を見ると、予報に反してまだ雨は降っていない。
とても結構なことなのだが、6時には降り出すという予報を信じてあれこれ対策を考えていた自分が虚しくなってくる。
 
今年から新たに幟を用意していた。
卒業生の中には覚えている人もいるだろうが、今までは手製の旗(というか紙で作った旗もどき)を片手に現地に出かけていて、去年はこんなことも書いていたのだが、劣化が進みそろそろ作り直さないといけないと思っているうちに、いちいち作り直すくらいならば、やはりまともなものを作ったほうがいいという結論に達したのだった。そもそも手製の旗は大きさこそまずまずだが、広げたままにして掲げることが難しく、よく見えないという問題点もあった。その点、幟はきちんと字が見える。年に一度のためにそこまでする必要があるのかという逡巡もあったが、普段は教室にでも飾っておくことにしよう。外に出して飾ることは(たぶん)ない。
 
しかし、その幟のデビューがいきなりの雨予報である。
もし雨が本降りなら、現地に行くのはやめようと思っていた。
傘を差しながら幟を持つという芸当は難度が高い。だったら幟を諦めればいいのだが、それ以前に、雨が本降りの中で現地に出かけたら、門前の交通その他で迷惑もかかるだろうという判断もあった。傘を差さず、カッパを着ることを考えたのだが、塾に置いてあるカッパは不意の雨のとき生徒が使えるように用意してあるもので、当然ながらサイズは小さい。着てみたら、胴体は何とか入ったものの袖が短く、これだと腕はずぶ濡れだ。と、そこまで考えたところで、雨が本降りの中、二言三言とはいえ生徒を立ち止まらせて話すこと自体に意味があるのかとか何とかいろいろ考えが巡り巡るよ会議は踊るされど・・・。
ちなみに雨だろうが雪だろうが槍だろうが、南高ならばそういう心配は皆無だ。多くの受検生が通るルートは、南高の西門に通じる川沿いの桜並木の歩行者専用道路。あそこに立っていて何か問題が発生するという状況は考えにくい。立ち止まらせることなく、歩きながら話すこともできる。つまりは良い条件がそろっている。ところが、今年のウチの生徒の受験校の分布を考えると、人数的に北高か東高しか選択の余地がなかった。過去には1人しか受験しない南高に敢えて行ったこともあったのだが(ずいぶん前のことで彼はもう立派な社会人だから白状するが、大丈夫かなと心配だったから敢えてそうしたわけだ)、その他大勢を横に置いて自分だけのためにわざわざ来てくれたという状況は、生徒によっては喜ぶ者もいるかもしれないが、逆にこちらが意図しない余計なプレッシャーを与えてしまう可能性もある。そんなわけで、北高か東高しか考えられなかったのである。
 
こうして起きてなおいろいろ迷い、またいろいろ手間取った挙げ句、家を出たのは7時であった。この段階で既に当初の想定よりも15分遅い。
車に乗り、南へ進む。途中、ぽつぽつと雨がフロントガラスに当たる。降り出したか、と思ったが、雨粒は後に続くことなく、ぽつぽつで終わる。天は我に味方した、などと高らかに宣言している余裕はなく、また車内で声に出して宣言したところで、ドライブレコーダーにその音声が記録されるだけなので、独り言は遠慮する。
途中、北高のそばを通過。時計を見て、応援に向かう先を東高でなく北高に切り替えるという手が一瞬だけ頭をよぎる。倍率は高いし、ウチからも何人か受検生がいるわけだから、今年に関しては実は北高こそ行ったほうがよい学校なのだが、次の瞬間、これは直ちに却下する。理由は以前書いたとおりである(どこで書いたかは忘れた)。
そういうわけで、去年に引き続き今年も東高ということが確定したのは、北高近くの交差点を直進した瞬間だった。
 
後は迷いなく東高に向かうだけだ。車は順調に南下し、途中で裏道に入って現地近くのコインパーキングに車を入れる。初めて使う駐車場だが、景色そのものは懐かしい。高校生のとき、今日のルートとは逆に南から北へと通っていた道であるから土地勘もないわけではない。が、今はそんなノスタルジーに浸っている暇はない。とにかく現地に急がねばならない。
 
車の後ろから幟を取り出す。傘は念のため持っていくことにした。歩いて大通りに出て、現地に向かって西進する。幟を高く掲げながらさっそうと…と言いたいところだが、幟を手に持ちまともに立てると、道路の並木に引っかかってしまうし、横にすれば当然、歩道を歩く他の人たちの迷惑になるので、かなり苦労した。この時間、小中学生の通学時間帯でもある。焦る気持ちを抑え、周りに注意を払いながらやや慎重に歩く(と書いたが、結局2回ほど街路樹の枝に幟を引っかけてしまった。枝も幟も折れなかったのは幸いである)。途中、小学生の登校を見守る黄緑のジャンパーを着た高齢男性と挨拶を交わす。
やがて左に折れて、いつもの道を南に。狭い道にずらりと並ぶ信号待ちの車列の横をすり抜けるように歩きながら遠くに目をやると、校門付近には既に人だかりが見える。去年よりも到着が遅れているのだから、さもありなんである。去年はおそらく早いほうの到着だったが、中学校が指定する集合時刻も今年より早かったから、1人の塾生とは会えないままだった(この顛末については去年書いている)。今年は中学校の集合時刻が繰り下げになり、常識的な集合時刻に一歩近づいたが(それでも全中学校の中では早いほうだろう)、こちらの到着も遅れていて、誰かと、いやもしかして全員と会えない危険が高まっている。自分の情けなさを足で踏みつけながら歩く。
 
校門前に着いたのは7時30分頃だっただろうか。
会えない不安を抱えながら幟を片手に立っていると、5分ほどして、まず塾生2人組に会う。校門の周辺の人混みのその向こうから、こちらの存在に気付いて近寄ってきてくれた。幟の効果は抜群である。さらにその数分後にも…。昨夜は何時に寝たか、今朝何時に起きたかという決まり文句の質問だけして、あとは頑張ってと送り出す。
こうして誰にも会えないという事態にはならなかったが、最終的に2人の塾生とは会えないままとなった。自分が遅れておいて「まさか彼らは遅刻したのか」などという(後から考えると本当に余計な)心配をし始め、いても立ってもいられない心境になる。
 
8時頃、受検生の姿もあまり見られなくなると、塾関係者は続々と撤収を始める。
私のほうはと言うと、そんな人たちの冷たい視線などは無視して、道路から校内の体育館のほうをまっすぐ向き、幟を高く掲げて立ち続けた。東高では例年、まず最初に体育館の上階に受検生全員を入れて説明を行う。受検生たちは体育館の外階段を使って上がるのだが、そのときに外のほうを見てくれれば視界に入るかも知れない位置に立つ。会えなかった2人にできることは、もうこれしかないのだ。
そうこうしているうちに、塾関係者だけでなく、何か配りものをしていた業者さんたちまで撤収。さらには8時10分頃になって交通整理やら車の誘導をしていた高校の先生方まで校門前から姿を消し、周りには本当に誰もいなくなるのだが、そんな中をひとり幟を掲げ続けた。
 
そして体育館の階段を上がる受検生の人影もほぼ見えなくなった頃、やや後ろ髪を引かれる思いで撤収することにした。
 
余計な話ではあるが、そんな頃になって、つまり受検生があらかた体育館に入ってしまった後になって高校に現れる受検生を、今年も数名目撃している。ある受検生は、送ってきた親御さんらしき人と口論しながら車を降りていた。何かトラブルがあったのだろうか。もちろん知らない子だから聞くわけにはいかない。別の受検生は遅くなったことを自覚しているのだろう。小走りで門に向かっていた。思わず「落ち着いて。まだ間に合っているから」と見知らぬその子に声をかけてしまった。そう、間に合っているのだ。各中学校は万が一のときのために早めの集合時刻をそれぞれ設定しているが、高校側の公式の集合時刻は8時20分。私が帰り際に見かけた数名の見知らぬ受検生たち、校門周辺に正体不明の私以外誰もいなくて(本当に静かな空間だった)心細かったかもしれないが、決して遅刻ではない。そう考えると、勝手に押しかけている塾関係者や業者は別にして、高校の先生もどなたか8時20分までは校門に立っていただきたかったように思う。県外の中学校から受検に来た子にとっては、集合時刻の遙か前に校門周辺に受検生も高校の先生もその他関係者も野次馬も一切いない状況など想像できないだろう。こんなことを書くのは、以前こんなことがあったからに他ならない。我々だって、たまには役に立つこともあるのである。
 
こうして、一仕事やったという達成感もない中、元来た道を、とぼとぼ歩く。2人会えなかった生徒がいたことがあまりに心残りで、さっそうと歩いて帰るというわけにはいかなかった。幟のポールをできるだけ短くし、背中を丸めるようにして歩く。車に戻るまで、いや、家に帰り着くまで、結局、雨は降らなかった。前夜のあらゆる思案や想定、そして準備の全てが無駄になった。天気予報など、はじめから信じなければよかったのだ。などと自分の失態は棚に上げ、心の中で天気予報に八つ当たりする。そうでもしないと収まりがつかない、何とも悔しい現地応援となってしまった。(続く)