高校の3年間、自転車通学だった。
大学に入ってからも2年生の終わりぐらいまで家から駅までは自転車だった。
だから5年間は通学に自転車を使っていたと思う。
私が中学生のとき、自転車通学のことをケッタ通学(いうまでもなくケッタマシーン=自転車で通学しているという意味)だとかチャリンコ通学=「チャリ通」(これもいうまでもなくチャリンコ=自転車で通学しているという意味)だとか言っていたが、今の子たちは何というのだろう。
そんな自転車通学、高校生のときは行き帰り合計で毎日1時間消費していたわけだから、今振り返ればいろいろな思い出がある。
高校生のときは電車通学する子が何か羨ましかったが。
東海道線に乗ってやってくる垂井・関ヶ原方面の子とか、養老線(今の養老鉄道)に乗ってやってくる養老・南濃(海津)方面の子とか。
自分の知り合い(クラスや部活)に揖斐郡方面の子が多かったせいか、揖斐線(今で言う養老鉄道・揖斐行)に乗ってくる子も結構いた印象だ。
彼らの多くは大垣駅でなく、東赤坂駅で降りてそこから自転車に乗って来ていたように思う(うろ覚え)。
今どきの子は、どうしているのだろう。
他人のことじゃなかった。
自分の自転車通学の思い出の話だった。
高校生のころは(というかほんの数年前までか)いいからだをしていた(要するに肥満だった)ことも影響していたのだろう。
タイヤの摩耗がわりと早く、またよくパンクもした(もちろん身体の重みでパンクしたのでなく、何か鋭利なものを拾ってしまった結果だが)。
道中の複数の自転車屋で学校の行き帰り(ほとんどが帰りだったか)に修理してもらった記憶があるが、そのうちの一軒の修理の仕方が悪かったようで、一度チューブごと破裂するという事態にも遭遇した。
(穴あきを補修した後、チューブをタイヤにしまうときタイヤとリムの間にチューブを巻き込んでしまう(チューブをかんでしまう)とそういうことが起こるらしい。行きつけの自転車屋さんに教えてもらった)
高校生から大学2年ぐらいまでの5年間酷使された自転車。
過酷な使用環境でよく頑張ってくれたと思う。
大学生になってからは雨の日はバスを使って駅まで行っていたと思うが、高校生のときは雨でも自転車だった。
大雨でも。
大雪の日、果敢に自転車で家を出て高校に向かったが、ほとんど自転車に乗ることができず、自転車を引いて学校までほぼ歩き通したなんて日もあった。
どちらも今じゃ考えられない。
当時のことだからできたのだろう。
特に大雪の日の思い出については、また冬の雪の日にでも書くことにしよう。