来週、中3生は修学旅行。
聞けば、初日は朝5時半に集合とか!(O_o)WAO!!!
岐阜羽島から新幹線に乗り、広島へ行くというので、
途中、新大阪あたりで乗り換えるのかなと思って訊いたら
乗り換えたりはしないという。
まあ修学旅行生が岐阜羽島から新幹線に乗るのは
いろんな意味で「お約束」のようなもので
これが一人か二人で大垣から東西に出かけようものなら、
上り方面は東海道線で名古屋まで出て乗り換え
下り方面は東海道線で米原まで出て乗り換えるのが
たぶん便利だよなあと思う。
何百人という団体ではそうもいかないけど。
書きながら考えていたのだが、
私が岐阜羽島駅を最後に利用したのはいつだろう・・・。
たぶん、大学受験の時に東京に行ったときだと思う。
当時は大垣でも南の外れに住んでいて
どのみち駅までは車で送ってもらうことになっていたから、
大垣駅まで送ってもらって名古屋でまた乗り換えをするくらいなら
岐阜羽島駅まで送ってもらってそのまま直行できた方が
好都合だった。
しかし、それ以後は(今日に至るまで)、
大垣駅から在来線に乗って名古屋駅で乗り換えてばかりだ。
(最近はあまり東京方面には行ってないけれども)
最後に岐阜羽島を使った大学受験のとき(もう遠い昔だ)、
私は東京の私大を計3校受けたのだが、
ありがたいことに知り合いの学生の方の申し出で
その方の下宿(アパート)に泊めさせていただいた。
場所は西武新宿線沿線の中野区鷺宮。
住所は鷺宮だったが最寄り駅は鷺宮でなく隣の下井草だった。
懐かしくなって受験のあと1回だけあそこには行ったが
それからもう既にかなりの年数が経っている。
当時の西武線は混雑こそ都会の私鉄そのものだったが
駅舎や電車(の型や速度)はローカル線そのものといった感じだったし、
下井草駅周辺も都会の街というよりは下町という風情で
ところどころ猫の額ほどの畑もぽつぽつ残っているという
田舎から出てきたものには何やらほっとするようなところだったが
今はたぶん全然違う光景になっているんだろうなあ。
滞在した知人宅は風呂無し共同トイレの古いアパートだったので
お風呂も近くの銭湯だったし、食事は近所にある大衆食堂ですませた。
東京に行き、ホテルに泊まって受験していたら味わえなかっただろう
雰囲気を多少なりとも体験できたのは貴重だったと思う。
そんなことを思い出したのは
最近、とあるところで偶然その地名を見て驚いたからだ。
あそこに、ねえ。いやはや何というか。
閑話休題。
それにしても5時半集合は早い。
自分の修学旅行(東京)はもう遙か昔のことになってしまったが、
当時、そんなに早く集合した記憶はないし、
こだま号でゆっくり3時間ぐらいかけて行かされたので、
東京着はお昼頃だった記憶がある。
初日の昼食は、持参した弁当を新幹線で食べてすませたはずだ。
今年の子たちの初日の昼は広島のお好み焼きだという。
早く出かけてそのぶん現地の滞在時間が長いのであれば
それも悪くあるまい。
寝不足は新幹線の中で寝て解消すればいい。
早起きして出かけた方が
眠いから新幹線の中で騒がしくならない上、
初日の夜にはすっかり疲れてしまい
宿でも夜更かしせず就寝してくれるだろうという
中学校側の作戦だとしたら
思わず「うまい!」と叫んでしまいそうだが、
書きながらさっきからちらちら見ている新幹線のダイヤによると、
岐阜羽島から乗り換えずに広島に行ける列車が
朝の時間帯しかないからというのが、たぶん真相なんだろう。
とにかく、無事で元気で楽しんできてほしい。
今日は、ここまで。