30年前との比較(1995vs2025)(とりあえず西濃地区)
今日は過去にタイムスリップ。
西濃地区の生徒数と高校の定員の変化を30年前とざっと比較してみた。
30年前…1995年度(1996年春入試に向かっていく年度)…まだ弊塾は開校前だ(1997年7月開校)。
私自身はあのころ会社員の塾講師だったか。
今より頭髪も贅肉もたくさんついていた(それはどうでもいい)・・・ひじょうになつかしい。
1995年度の中3生が県内で27,113人、西濃地区(大垣市・安八郡・揖斐郡・不破郡・養老郡・海津郡(当時))で5,236人。
2025年度の中3生が県内で17,180人、西濃地区(大垣市・安八郡・揖斐郡・不破郡・養老郡・海津市)で3,123人。
ということは、県全体も西濃地区も中3生の数はだいたい5分の3スケールになっている(いずれも当該年度の岐阜県の統計から抽出した)。
ここで1995年度を取り上げたのは、今からちょうど30年前ということのほか、今の中3生の保護者世代にわりと近い(もちろん上下はあるだろう)年代ということもある。
大垣北高が400人、大垣四校合計(北+東+南+西=400+320+320+360)が1,400人という定員の時代である。
中3生の減少に揃えて5分の3スケールにするなら大垣北は240人、大垣四校合計で840人の定員になってしまう計算だが(私がそれを望んでいるわけではない)、実際の来春(2026年春)定員は大垣北320人、大垣四校合計(北+東+南+西=320+280+240+160)で1,000人。
つまり単純計算と実際とでは四校合計で160人のずれがある。
少し前、ある塾生保護者さまとの懇談で昔と今の高校のイメージの違いの話になった。
そのときいろいろ話したのだが、改めて具体的な数字ではっきりさせようと思い立ったのだった。
数字は能弁というか、ここから本当にいろいろなことが読み取れるが、それはここでは読み手のみなさんに委ねたい(塾内の懇談では当然、実態・実感も入れて私の見解を話しているが)。
これはあくまでも単純計算なので、30年前とは違うそのほかの要素、たとえば学区がなくなっている(から最上位層の中には岐阜高校に進む生徒もいる)とか進路が多様化している(例えば普通科高校と専門高校でその先の進学という点での垣根は大幅に下がっている)とか30年前より県内私立高校がだんだん力をつけてきているとかそういうことはここでは論じていない。
単純比較。
参考資料。
私がこれをもとにここで何かを強く主張したいということはない。
…つもりでだったが、せっかくなので上の資料をもとに一つだけ主張しておこう。
市内四校の合計定員が上に示したような変化にとどまっているということから明らかなのは、大垣「市外」の高校がいま定員割れの恒常化に悩む原因には全体構造的な問題も大いにあるということである。
その高校、その地域の責任ではない。
いくら上から「活性化せよ」と笛を吹かれても、客観的な状況が(公立高校という枠内に限っても)こうではその努力だけでは限界があるのは当然だと思う。
さて、この30年前との比較シリーズ、ついでに岐阜地区のも明日あたりに載せておくかな(弊塾界隈ではあまり需要がない話ではあるか)。

