東日本大震災からもう13年もたつのか。
ということは阪神・淡路大震災からももっとたつんだな。
阪神・淡路大震災のときは若かったので、思い切って仕事を辞めて神戸にしばらくの間ボランティアに行くことを真剣に考え、当時の上司というか先輩に相談をした記憶がある。
結局そこまでには至らなかったのだが。
実際に会社を辞めることになるのはその翌々年になった。
この塾を開いた年である。
東日本大震災のときも今日のような入試の後、合格発表の前だった記憶がある。
(ここの過去の記録を調べたら(こういうとき便利)、あの年は一般選抜が3.10でその合格発表が3.16だった。塾は高校入試のあとの休み期間だったのだ)
当時の公立高校入試は2月に「特色化選抜」があった。
あの年は特色化選抜が大変うまくいってほとんどの生徒が特色化選抜で合格を決めて、一般選抜組の合格発表がただ待ち遠しいだけの日だった覚えがある。
大きな揺れだった。
揺れが起こった時間、私は家でPCに向かって仕事をしていたはずだが、長く揺れたのを記憶している。
発生直後は穏やかな漁港だったが、しばらくしてからテレビの画面には見たこともないような恐ろしい津波の映像が。
仙台平野をどんどん内陸に遡上する津波の空撮も見た記憶がある。
その後、あちこちから津波の映像が入ってきた。
当時もうSNSが普及していたのでSNSで助けを求める人の投稿も見た。
自宅周辺が津波で浸水した画像とともに救助を求める投稿だった。
信じられなかったが、本当に起こっていたことだった。
そしてその後も続く原発事故。
しばらくの間、この世の終わりのような日々だった。
たいへん大勢の方が犠牲になった。
今日のような津波に対する警戒が、あのときもう少しあれば助かった命もあるはずだと思うと悔しい。
世間では電力不足だというので(中学生が社会の地理で勉強するように日本の火力発電所は臨海部にほとんどあるため、原発事故の問題だけでなく海沿いの火力発電所もたくさん被災して稼働できていなかった)発災当初はもちろん、夏頃になっても電力が足りなかった。
それに協力するというので中3の夏期講習を比較的涼しい午前中に集中してやる(そして昼過ぎの塾を閉めて夕方からまた中2以下の授業をする)という決断もした記憶がある。
しばらく異常な世の中が続いた。
あれから13年か。
当時の受験生、中学生はもう20代後半。
元気にしているだろうか。