次期指導要領に向けた動きに関連してこんな記事があった。
ブラック校則を自ら見直し? 「子どもの意見表明権」教育に取り入れ | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20250905/k00/00m/100/316000c
学習指導要領改定に向けた基本方針の素案には、「子どもの意見表明権」を教育に取り入れる方向性が盛り込まれた。児童生徒が主体となって校則を改善していく活動などを想定し、特別活動に位置づける。制服や髪形などを厳しく制約する「ブラック校則」を児童生徒が自ら見直していく。そんな活動が学校教育に取り入れられそうだ。
確かに公民で子どもの権利条約やこども基本法を学ぶときに「意見を表明する権利」が出てくる。
しかしいまどき「ブラック校則」というものはどれだけあるのだろうか。
塾に服装や生活に関する「塾則」など当然ないのだが、教室内の行動や学習行動については明文化されていなくても長年の間に積み上がったルールのようなものがないわけではない。
といっても「ルールだから守って」なんて話は当然していない。
昔こういうことがあって困ったから、こういうことがあると困るからこういうふうにやっているという、ことの成り立ちの説明を折にふれてしてきたつもりだ。
説明がつくのは上に書いたように実際に困ったことがあってそれに対応してルールのようなものが形成されてきたから。
つまりこの塾の歴史そのものなのである。
閑話休題。校則の話。
いつごろだったか「そんなきまりがなぜあるの?」というおかしな校則をメディア等が取り上げるのが流行った時期があった。
今の時代から見て滑稽にしか思えないルールも、作られた当時にはちゃんと意味があって説明ができたものが多いのだろう。
いつしか説明ができない人たちの時代になってもそれが残りルールだけが独り歩きした結果、おかしなことになっていったのだと思う。
今の時代に説明ができないルールが今あっても意味がない。
説明ができないルールは必要なルールとは言えないし、なぜあるのかを考えるというのも大事な作業である。
子どもがそれを主体的に考えれば学びにつながる。
いい方向だと思う。
校則といえば…以前もここに書いた気もするが、大垣市内の中学校では男子は全員丸坊主という、今では信じられない時代があった。
かくいう私もその「犠牲者」だったわけだが、厳密に言うと「どうせ中学生から丸刈りだから」というので小学生の頃から既に丸刈りにしていた。
高校1年からは髪を伸ばし始めたのだが、半年ぐらいはコアラのようなおかしな頭になっていたのを思い出す。
普通の髪型になるのに1年近くかかっただろうか。
懐かしい思い出である(が要らん思い出でもある)。