岐阜県で言えば「独自枠」の話かなという記事


「部活偏重」でブラックボックス化する推薦入試 学力格差の原因にも | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20250708/k00/00m/040/196000c

高校の推薦入試は詳細な成績が開示されないため、選考過程が「ブラックボックス」化しやすい。

 中学校の部活動で実績を残した受験生を大分県内の県立高校が非公表で加点して優遇した問題は、そんな推薦入試の課題を改めて浮き彫りにした。


岐阜県の公立高校入試にはかつて「推薦入試」があったが、四半世紀ほど前の特色化選抜導入の改革とともにそれが消え、推薦入試的な部分は特色化選抜に組み込まれることになった。
そして今から12年前に特色化選抜もなくなり、その特色化選抜的な部分は独自検査を使った枠(独自検査を含む選抜。俗に「独自枠」などという)に組み込まれ、独自枠を受ける生徒であれ、一般の生徒であれ、全員が学力検査を受ける今の仕組みになった。

要するに、岐阜県では独自枠が推薦入試の役割をしているということだ。

全員が学力検査を受けるといっても独自枠でどの程度学力検査の結果が反映されているかいないかは明らかにされていない。
あの3:7だ5:5だとかいう調査書と学力検査の比率は独自枠には適用されない。
独自枠については


調査書の記録(出願者から自己申告書が提出された場合は、これを含む。)、標準検査及び独自検査の結果に基づいて、総合的に審査し、入学者の選抜に当たる。(岐阜県教育委員会「令和8年度岐阜県立高等学校入学者選抜要項」より)


という、実にあいまいな選抜基準しか書いていない。

しかも学力検査の得点は開示されるが、独自検査の得点は開示されないし、そもそも独自検査に「得点」という概念があるかどうかも不明。
ということで、記事でいうところの「ブラックボックス」そのものだ。
大分県の話よりも不透明ではないか。
岐阜県の独自枠には点数という概念がない(ように見える)から「加点」で突っ込まれることがないというだけのようにも見える。
記事には


 不透明な推薦入試や部活偏重の弊害については全国の教育現場から問題視する声が上がっており、対策に乗り出した自治体もある。


とあるが、岐阜県が対策の乗り出す様子は今のところない。


関西地方の40代の男性教諭は、勤務先の公立高校の実態を嘆く。

 この高校の募集要項では、バスケットボールなど10以上の部活名を明記し、活動実績や作文で評価する方式の入試を受けるよう促している。募集人員は計約40人で、部活の内訳は示されていない。

 しかし、この教諭によると、実際には出願開始の半年以上前に校長と顧問らの間で部ごとの「人数枠」が決められ、その人数に沿って顧問が有望な中学生に接触し、受験を勧めているという。


これも岐阜県の独自枠と同じようなものじゃないかなと思った。
部活動一つだけの場合は独自枠=その部がとりたい人数ではっきりしているが、複数の部活を列挙しているところのほうが多い。
どの部で何人なんていう公表はされていない。
上の引用の最後の部分のようなことも岐阜県では実際に行われている。

ここではそれがいいとか悪いとか言うつもりはない。
だが、もう少し独自枠について透明性が高められないものかと思ってみている。

だいたい、独自枠で何人合格したかは公表はされていない。
合格後、受験生本人が自分の合格のしかたを知ることができるだけだ(合格発表後にもらう「合格通知書」に書いてある)
高校は独自枠を使い切る必要はないことになっている。


Q3 「独自検査」を含む選抜では、必ず募集している人数まで合格者を決定しますか。
・ 「独自検査」を含む選抜では、実施する高校(学科(群))が事前に示す「選抜の要件」を踏まえ、調査書の記録、「標準検査」及び「独自検査」の結果を総合的に審査し、合格者を決定します。したがって、選抜の結果によっては、「独自検査」による合格者数が募集人員に満たない場合があります。(岐阜県教育委員会入学者選抜Q&Aから)


つまり独自枠には「定員割れ」という概念はない。
たとえば24人の独自枠があったとする。
その独自枠に28人の出願者がいても、独自枠で20人しか合格していないことだってあるということだ。
極端な話、昨日発表された芥川賞・直木賞ではないが、「該当なし」でだれも独自枠では合格していないことだってあるかもしれない。
独自枠で何人合格したかは独自枠に出願していない他の受験生にも影響する。
残りの枠が一般の枠ということになっているからである。
大学入試のように3倍だ4倍だ5倍だという倍率の世界なら大した問題ではないが、数人オーバーした数十人オーバーしたという世界で戦っている公立高校入試にとっては小さいことではない。
10年以上前、今の制度が始まったころに割とすぐ私はこれを書いた気もするが、上のような記事があったのでまた思い出したのだった。