学習時間が問題ではないと思うけど


平日に1時間以上勉強の中3 4年前から14ポイント減 文科省 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20250714/k00/00m/040/190000c
「学校以外(塾含む)での勉強時間」を尋ねる設問で、「1時間以上」とした小6は2021年度が62・8%だったのに対して25年度は54・3%に減少。中3は21年度が75・8%だったのに対し、25年度は61・7%と14・1ポイント減少した。休日も減少傾向にあるという。


常日頃、塾では「勉強時間を問題にするな」と言ってきた。
1日○時間勉強したという勉強量の測り方には意味がないと。
時計をちらちら見ながら、「○時間勉強しなきゃ」と だらだら机に向かっていても仕方がないと。
集中して内容の濃い勉強ができていれば、時間が短くても構わないと。

だからこの記事の話も、子どもたちが以前よりも集中し、最新のICTも活用して中身の濃い学習を展開しているということなら問題がないのだろうが、おそらくそうではないだろう。

今世紀初め頃にも「ゆとり教育で子どもたちの学力が低下する」という危機感が社会を覆った。
その揺り戻しがあって今がある。
そして今、あの頃とは違う形でその懸念が表面化している。
あの頃は公教育がスカスカになったために学力格差が生まれているのではと問題になったが、今の公教育の中身はあの頃よりもずいぶん多い。
教科書の分厚さが端的にそれを物語っている。
今の子に20年前の教科書を見せたらきっと驚くだろう。

しかし格差は広がっている。
やることはたくさんある。
学習することは多い。
今はその多い中身についていくことをあきらめた・ついていけない層と、ちゃんとこなしている・ついていけている層やさらにその上を学んでいる層との格差が拡大している。
テストの点数分布が正規分布になっていないと言われて久しい。
中間層が消えたのは何も社会経済の問題だけでなく、子どもの学力においても同じ。
ゆとり教育のころも学習が「自己責任」の時代になってしまったと嘆いたが、今も別の意味で自己責任の時代。
「みんなと同じぐらい」を基準に行動しようとしても「普通」のレベルを維持できる時代ではない。
普通が存在しないから。
そういう意味では今の時代の子たちは生きていくのが大変だと思う。