美濃市で小1の通知表廃止という話

美濃市の話。


岐阜 美濃市教委 今年度から小学校1年生の通知表を廃止|NHK 岐阜県のニュース https://www3.nhk.or.jp/lnews/gifu/20250508/3080015746.html

教職員からは、特に低学年の児童の間で、評価の中身より記号の数に関心が向きがちなことについて問題視する声が上がっていたということです。

こうした中、去年11月に開かれた会議の場で、「児童が劣等感や授業への苦手意識を抱かないようにすべきだ」などとして、教育委員から通知表の廃止案が出され、翌月の校長会ですべての校長が同意し、廃止が決まったということです。


小学生は通知表を見て◎の数を数えるよなあと私が子どものころの遠い昔を思い出しながら。
今の子たちは知らないけれども、だいたい同じようなものではないだろうか。

こどもの学習の理解度は把握しておいたほうがいいと思うので、そういう手段と評価の機会は設けたほうがいいかもしれない。
その上で小学校低学年の通知表の◎○△がないというのはいいと思う。
しかし
、そうした場合にはこどもの学校での様子について報告する所見欄がより重要になってくるのではないだろうか。
それも含めてまるっと廃止とは思い切ったことをしたなあと思う。


今後は年2回、個別の懇談会を開くほか、年度末に修了証を配るなどして子どもたちに努力した点などを伝えることにしています。


とのことだが、懇談会なんて今までもやっていたのではないかと思うし(美濃市ではやっていなかったのだろうか)、ひとり30分も1時間も話すわけではないだろうから、懇談会だけでどの程度こどもの様子が伝えられるか。
「修了証」の中身も気になる。
低学年の通知表が廃止された美濃市がその後どうなったか、継続して見ていきたいところである。

   

    

遠い昔を思い出して。
私の小学校1年生の通知表、△ばかりだったなあと。
勉強も運動もできない子で、絵を描かせても何かを作らせても下手だし、行動が遅いので生活面の評価も悪かった。
かくして通知表はぼろぼろだった上、学校の個人懇談も「大変だった」という思い出を親が今でも語るぐらいのものであった。
運動ができないのはその後もずっとで、絵は描けないし工作も苦手だし、行動も基本的に遅いままだが、勉強だけは人並みに何とかできるようになった。
こういう子(=私)もいるので、低学年の評価なんて分からないものである。
そういう意味では、低学年の通知表は、やはりない方がいいのかもしれない。