可児高校


あのスパルタ校が激変? 「奇跡」と呼ばれた進学実績を挙げた可茂地区の進学校は今「青春が楽しめる学校」へ 【ぎふ高校研究】|岐阜新聞デジタル  https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/478401


可児高校か、なつかしい。
もちろん私が通っていたわけではないが、高校生のとき、校長が全校集会で可児高校の話を持ち出しては、簡単にまとめれば「きみたちももっと頑張りなさいよ」というようなことを話していたのを思い出す。
かつての可児高校、記事では「スパルタ」と表現されているが、かなり厳しい管理教育だったという噂を当時から聞いていた。
愛知県の公立新設高校のやり方を取り入れたという話も(本当かどうか知らない)
その甲斐あって、大垣北を超えていたどころか、岐阜高に匹敵する東大・京大合格者数だった年もあったように記憶しており、どういうこと?という感じだった(当時は大学合格者の氏名が有無を言わさず高校名と共に新聞の地方版に掲載されるという、今ではとても信じられない時代だったので、新聞を見るとどこの高校にどれくらい合格者が出ているかは一目瞭然だったのである)
件の校長は当時中3生がみんなが受けていた(今は見る影もないが)岐阜新聞テストの結果を持ち出し、高校入学前の成績では可児高よりも大垣北高が上なのに大学合格実績では可児高校のほうが上であることを嘆いていたのである。
実際、可児高校がやっているような課題のしくみなどを北高でも一部取り入れたりもしていたように記憶している。
私やその周りの友人はそんな話・そんな流れに反発するような(といっても何か具体的な行動を起こしていたわけではなく、愚痴っていただけだが)生徒群だった。
高校生当時の私は全校集会のたびに思った。
高校全体でどこに何人合格したかなんて実績は私には全く関係がないと。

センター試験(今でいう共通テスト)のときだ。
当時会場だった岐阜大学で(当時は私大の参加が少なく県内会場は岐大、岐阜薬科大といった国公立大学だけでそこに県内の高3生のほとんどが集結していた)、可児高校の生徒たちがおそろいの高校指定のジャンパーを着て寒空の下、
広場に整列し拡声器で先生がしゃべる注意を聞いていた。
休憩スペースに指定されていた建物の中からそれを見ていた私はあきれてしまったのを思い出す。

そこには可児高をダシにした話を聞かされた者として反発もあったのかもしれないと思う。

記事の中に


よくよく調べると設立当時はおそらく、そんなスパルタではなかったようだ。開校10周年記念誌に、当時の進路指導部の先生がこんなことを書いている。

「大学合格実績を上げることだけが可児高校の使命ではありません。生徒の学力を向上させることだけがわれわれ職員に課せられた責務でもありません。何事にも熱意を持って取り組む姿勢、生活習慣が学力向上に驚くべき大きな影響を与えている」とある。

今私が進めているのは、けして可児高の大変革ではなく、設立当初の理念に立ち戻っている、という方がより正しいニュアンスかもしれない。


なんて書いてあるが、その当時の姿に対する認識はたぶん違う。
もう1990年頃までには既に可児高校は大学合格実績で相当華々しい結果を出している管理教育の高校として有名になっていたはずだ。
相当な実績を上げるために相当なことをしていたことへの後ろめたさがそういう文を書かせたのかもしれないとさえ思ってしまうほどだ。
さらに記事の中には


 生徒の保護者が本校を卒業した世代になってきたが、可児高は厳しい思い出しかない、だから自分の子どもは可児高に行かせたくない、という声が聞こえた。卒業生でこの地域の中学校の先生も増えてきたが、その先生方も可児高の思い出は勉強しかない、という思いだった。OB・OGが可児高を推奨しない、という学校になっていた。

 文化祭はなかった。文化祭に力を入れるぐらいなら勉強しなさい、という狙いがあったと思う。


とある。
当時の可児高に文化祭がなかったというのは初めて知ったかもしれない。
高校生のとき、それも高3生のときに(苦笑)文化祭(北高祭)全体の責任者をやって、今から思えば「青春」まっさかりだった私からすると信じられない話である(あのとき一緒に生徒会の中心にいた人間には医者になっている者や理研の研究リーダーになっている者もいる。今から思うとちょっとすごいメンバーだったのかもしれない、私を除いて)

私自身、(すべてが楽しかったことばかりでなかったが)高校生活は大変思い出深いものとなっているし、かつての北高生で今も地元に残っている人で自分の子どもも北高に通わせたいと思っている人は多いのではないかと思う(みんなとは言わない)
少なくとも記事にある可児高卒業生のような傾向はないだろう。

押し売りするが如く高校が生徒に青春のお膳立てをせよとまでは思わないが(何をやりたいかは生徒によって様々であり、それこそ中には勉強に集中したい子だっているだろう)、進学という観点からいっても、高校は大学生になる前の助走期間なのだから、大学に入るための「大学受験対策」一辺倒ではなく、大学で主体的に学べるための「知的な遊び(ゆとり)」「知的な余白部分」をつくる手助けをすることも大事だと私は思う。
そういう曖昧だったことを仕組みとして何とかしようとしたのが昨今の探究型学習だったり大学の総合型選抜だったりするのだろうが、そういうものがない時代でも、生徒に知的刺激を与えて生徒の知の厚みを増そうとしていた先生はいたように思う。
私が高校に感謝するとしたら、そっちのほうかもしれないというぐらいのものだ。
高校は塾や予備校ではないのだから、トータルで人格を形成していく上の糧となる諸活動も大切だし、文化的な厚みを増していくことも大切ではないかと塾の人間が言うのもおかしいかもしれないが、私はそう思う。
私だってこの塾でそういうことを全く意識していないわけではないのだから(といって塾で何かの行事やスポーツなど別のことに取り組んでいるわけでないが)

そういう意味では、さきほど引用した記事中にあった当時の先生の文だという


何事にも熱意を持って取り組む姿勢、生活習慣が学力向上に驚くべき大きな影響を与えている


この文には大いに違和感がある。
それはその通りなのであろうが、なるほど管理教育全盛の頃に書かれた文だと底が見えてしまっていると感じさせるのにじゅうぶんだった。

うまく書けないが、いろんな意味で生徒に厚みと深みをつける教育を北高には願いたい。
卒業生の一人として。