昨日床屋で「よいお年を」と声をかけられて、ああそんな時期になっていたんだなとはっとする。
冬期講習が近づいているのだから当然そんな時期なんだが、自分は年明け以降だんだん始まっていく各種入試と3学期の各種テストのことで頭がいっぱいだ。
それから3月以降の新年度のこととか(弊塾の年度終わりは3/10。新年度の授業は3月半ば以降開始)。
正月とか年越しというものの存在感が自分の頭の中にまるでないのだった。
来年が何年なのか、干支もさっきまであやふやだった。
巳年か。
今年が辰年なのに昇龍とはいかずドラゴンズが相変わらず不振だったという話を思い出す。
その辰年の次だから当たり前の巳年。
世間は年末だから忙しいのだろうが、自分は冬期・直前期と正月に関係なく急いでやらないといけないことが結構たまってきている。
夏期講習が始まる前「講習中はブログなんて書いている暇はない」と思っていた(しかし何とか書き続けられた)。
この冬期講習期間こそ、厳しいことになりそうな気配である。
去年の冬期講習はどうしていたんだろうなあ・・・(毎日書くようになってしばらくの頃だからネタには困っていなかったか)
それはさておき「賢者の石」のこと。
先頭ランナーはもうだいぶん前に探究編に入っているが(他にやっていることがあるのでちょっと足踏み中かな)、他にも準必修編までは渡した生徒がおり、今週中に渡してもいい子がもう少し出てきそうだ。
準備をしなければ(超必修編は全員に配布しているが、準必修編から先はできる子だけにオンデマンドで作成して配布している)。
探究編まで極めた子にその先の編を配るかどうかも検討している。
そうなるともう21年以上前になるので、そこまで遡るよりも全国の公立高校入試問題から比較的傾向の近いもの・近年のものをやるようにした方がいいかもしれない。
21年以上前はさすがに古すぎる。
遡っても20年までかなという感じ。
20年でも十分古すぎるという意見もあるだろう。
英作文なんて探究編でも「どっかん英作文」(あの当時は出題側も英作文の出題の仕方に慣れていなかったんだろうな。設定もいい加減でおおざっぱ。国語の作文以上の丸投げという感じのまさに「自由英作文」だった)だもんな。
当然、時代によって習う内容にも差があり、今は習っていないことが出てきたり(21世紀からの学習内容増量のトレンドでこれは少ない)、今やっていることが出てこなかったり。
特に今世紀初頭までは学習内容が削られていく「ゆとり教育」傾向の時代だったから、今やっていることでも当時やっていないことがかなりある(端的なところでは2次方程式の解の公式を習わない時代もあった)。
入試の出題にもそれが影響していて、たとえば探究編には「確率・統計編」がない。
国語の漢字はかつては文章内に傍線が引いてあって出される形式だったので、探究編に漢字編はない(漢字なのでみんなにやってもらったほうがいいと最初に配ったものに十数年分を「超・準必修編」として全部まとめてあるが)。
「賢者の石」、ちゃんとやった生徒ほど思い出があるようで、私が倒れて復帰した後わざわざ訪ねてきてくれた(京大に進んだ)卒業生が「そろそろ賢者の石の時期ですね」なんて話をしてくれたのを思い出す。
「賢者の石」は弊塾の高校入試対策のシンボル的な存在である。
「賢者の石」の学習の仕方からヒントを得て高校での学習も頑張ったという生徒もいる(もちろんやっている内容は全然違うのだが、学習との向き合い方という面において)。
来年以降も頑張って作っていきたい。
先日来の話をすれば、この「賢者の石」にかかる費用も、年間受講料(の教材費)に含まれている。
中3の教材費がどうやりくりしても膨らんでしまうのは、中2までと同様の普通授業テキストに加えて入試対策テキスト、さらには賢者の石などの教材、そして年間6回の学力テストまで全部含まれているから。
変な話、学力テストの受験料だけでも年間受講料から切り離して別途徴収にしたら見かけ上は教材費が大幅に減るし、さらに入試対策関係の教材費を切り離してしまえば中2までと同じような教材費になる。
先日も書いたように、だからといってそうする(切り離してその都度集めて最初の段階では見えなくする)つもりは全くない。
必要な費用は最初にすべて広く公開してお示しする。
開塾以来一貫してきた、弊塾の方針。
安いとか高いとかいう以前の大前提。
私の感覚では「当たり前」のこと。
…なんていうことを長々と書いているから仕事が停滞しがちになるのである。
さっさと片付けなくてはならない。