大学というのは学部が違うと「別の学校」的なところがあって。
私の大学はまだ医学部を除いてキャンパスがまとまっていたが、学部ごとにキャンパスが点在しているところはさらにその感覚が強いだろう。一つのキャンパスと言っても名大・東山キャンパスは広く、卒業するまでとうとう行ったことがないところは多い。
今から思うと暇なときにもっと歩いて回ってみればよかったとも思う(キャンパス内の一部についてそういうことをしたところもある)。
図書館に近い(文系学部と同じ)道路の西側にある工学部の校舎には何度か入ったこともあるが、理学部の校舎は外から眺めただけ、農学部はキャンパスのあっちのほうにあるとしか知らなかったし、医学部に至ってはキャンパスそのものが東山にない(鶴舞に名大医学部附属病院とセットで存在している)から全く別世界だった。
その点、文系各学部はまだ「同じ学校」感があった。
法学部と経済学部は校舎がつながっていたし、文学部と教育学部は隣の建物だった(今は文・教育と法・経の間に大学院の国際開発研究科の立派な建物があるようだが、私がいた頃、国際開発研究科の建物は通路の反対側にプレハブで建っていた記憶がある。私がいた頃は国際開発研究科のあるところは空き地だった)。
文学部の建物で大学入試の二次試験を受験したのを覚えているし、教育学部の棟には、心理学専攻の学生の研究のための「被験者」として協力するために行ったことがあった。
キャンパスの全体図を見ても文系4学部(今は情報学部もあるか。あれは文系なのか理系なのか)は南西の隅に小さく肩を寄せ合うようにかたまっている感じがよい(何が)。
他方、理系の棟は私がいた頃から建て替えの議論があったがその後建て替えが進んで立派な校舎になっている(文系校舎は雰囲気が変わったと思ったら耐震補強でお茶を濁していただけのようである)。道路の向こう側(豊田講堂のほう)は木も多くていい環境だ。
こんな思い出話を書いたのも、最近「名大病院(名古屋大学医学部付属病院)ってどこ?」って話になったからだった。
鶴舞にあるのはもちろん知っているし、中央線の電車の窓越しに見たこともあるが、今に至るまで実際に行ったことも入ったこともないのだった。
一言で「名大」と括られても医学部は(いろんな意味で)別世界。
そもそも名古屋大学は医学部から始まっているのだが(源流が一番古いのも医学部だし、「名古屋帝国大学」ができたときは医学部と理工学部の2つだけだった)。