テストは間違いを解き直すことでおいしくいただける。

以前も書いたように、岐阜県の高校入試対策模試の情勢は現在のところ混沌としている。
中学校から追い出された後もずっとガリバーのような存在感を保ってきた岐阜新聞テストの影響力が数十年を経て下がり、そこに成績上位の高校の受験者に強みを持つ岐阜模試が割って入り、近年は愛知県で実績のある全県模試をやってきた出版社が岐阜全県模試も展開して徐々に受験者を伸ばしている。
今(2024年)の中3生の総数は岐阜県全体で17,000人ほど。
そのうち岐阜地区で7,000人ちょっと、西濃地区で3,
000人ちょっとだ。
それぞれの模試の規模を考えるときの参考にしてほしい。
特に岐阜新聞テストはかつてその規模・圧倒的なシェアで優位を保っていた。
今、それが
どうなのかはこれらの数とそのテストの受験者数を比較すれば分かるだろうから、これ以上は書かない。

   

   

   

ところで、これらの模試にしても、中学校で行われる実力テストにしても、受験するだけなら受ける意味は半減、いやもっと減るだろう。
もちろん、受けて成績表を眺めるだけでも「こういう成績だった、志望校に行けるかな」とか、「ここが弱点なんだな」という資料にはなるだろうが、そのためだけに受験生が丸一日使うならひじょうにもったいないことだ。

模試などをうけたときは、その間違いを解き直してはじめて「勉強」として完結する。

返却された模試の成績表を見て「ここが弱いから」とその分野を勉強するのも悪くはないが、間違えた問題そのものに再挑戦しながらその周辺領域もおさえておくのが一番効率よく手っ取り早い復習なのである。

大昔、まだ勤め人塾講師だったころ、塾の模試の日には(会社の命令があったわけでもなく私の判断で)同日夜に担当教室の自習室を開放していた(昔のことを思い出すと、あの頃はずいぶん現場の自由裁量で担当教室を運営させてもらっていたんだなと思う)

その日受けた模試の反省をすぐやってもらうために。

もちろん、反省というのは解き直し。
模試の終了時に配られる正答をもとに自分の間違い箇所をチェックし(だから当日夜がよかったのだ。日にちが経つと自分がどう解答したのかも忘れる)、もう一度その自習室で解き直してもらったのだった。
私も若かったので朝からの模試の準備や昼間の試験監督のあと、さらに夜の自習室の開放まで完走する体力があったが、試験を受けた当日夜に塾に来てテスト反省までやるのは生徒たちも疲れただろう

あの頃の中学生だからできた業かもしれない。

今、この賢学塾では塾の中3学力テストについてその日のうちのテスト反省はやっていない。
早めに解答用紙を返却し、間違い直しを(具体的明示的な期限を設けない)家での課題としている。
(他方、中2以下は学力テスト反省会を後日開催して塾で解き直しを進めてもらっている。「家で自分でやってね」といったところでなかなかできないだろうし)
「課題」だから当然、中3生のテスト反省も「やってね」というだけで放置するなんてことはしていない。
講習の質問学習の時間に質問をきいて直しを手助けしているし、それぞれの生徒の進捗状況についてもチェックしている。
自分で考えたり調べたり質問したりする習慣をつけるため、正答は渡していない。
もう二十年以上この形式だろうか。

直しが早い生徒は昔も今も成績レベルの高い高校を志望する生徒だ。
間違い箇所が多くないのもあるが、こちらから進捗状況を尋ねる間もなく家でサクサク直してくる。
そして自分で考えて分からなかったところだけピンポイントで質問するので早く片付けられる。

他方、なかなか直しが進まない生徒は春先には少なくない。
中3になっていきなりは、課題として投げられてもなかなか習慣づけられない。
まだ先だから、次の授業までの宿題というわけではないからとなかなか取り組めない生徒もいる。
そういう生徒でもだいたい秋口までには家で机に向かって直すという習慣がついてくる。
今の中3生もそんな感じだ。

それが高校に入って生きてくる。

大学受験勉強にも応用が利く習慣だ。
中3生のときにこうやって勉強していたなとその習慣を思い出してやってもらえるとよい。
勉強内容とそのレベルが全然違っても「間違いが最高の教科書」であることは普遍的なのだ。