俳句甲子園


鶯谷高が俳句甲子園へ 大垣で地方大会:中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/914334


もうずいぶん前にNHKで全国大会の模様をドキュメントタッチでやっているのを偶然見て、面白いことをやっているなと思った。
全国大会の会場は愛媛県松山市。
「俳句」の名付け親、正岡子規のふるさと。
他方「俳諧」の松尾芭蕉「奥の細道むすびの地」をあれほど売りにしようとしていた大垣市。
本来はこういう大会(全国大会)をやっていてもいいところだろうが(市の規模的にその力が無いか)、やろうとしていたとしても大垣が俳句を売りにしようとしていた頃には俳句甲子園がもう松山で開催されていたのだろう。

  

 

  

それにしても大垣からの俳句甲子園地方大会参加校が大垣日大一校だけというのが寂しい。
俳句で街で盛り上げたいなら市内の他の高校にも俳句甲子園を目指して俳句部をつくったらどうかと働きかけてはどうだろうか。
働きかけているが「生徒に関心が無いので…」ということかもしれないが。
北高を見ても、生徒の人数も以前ほどいないせいか、部活動が大昔と比べてだいぶん整理縮小されている。
そもそも俳句部どころか私の頃には確かにあったと思う文芸部がない。
隔年で北高祭(の文化祭)での全校鑑賞の対象だった演劇部もなくなっている(あのころ音楽部はオペラやミュージカル、演劇部はもちろん劇を交互に隔年で全校の前で発表していた)
私が高校生の頃、理科関係だけでも物理部・化学部・生物部とそれぞれ存在していたはずだが、今は自然科学部一つだけになっており、活動内容は昔の生物部のやっていたようなことだけのようだ。
まあ昔の音楽部は合唱しかやっていなかったから(今は吹奏楽部門がある)、「増えた」ものも無いわけでなく、生徒のニーズの問題もあるかもしれないが。

 

 

 

運動系では、男子ハンドボール部がない。私の頃は逆に女子ハンドボール部が無かったと思うので隔世の感がある。
あの当時、第一体育館がバレー部やバスケ部、第二体育館でハンドボール部やバドミントン部や卓球部というのが通例だったはず。
当時、体育館が2つあったのだ。
ぼろぼろの旧体育館を取り壊すことなく第二体育館として運用していた。
床のあちこちにガムテープの補修がほどされているほどぼろぼろだった。
新体育館ができた後も残っていた理由は分からない。
そしてグラウンドそばの新体育館が当時は第一体育館と呼ばれていた。
これが今も残る体育館(今となっては当時から伝わる数少ない建物の1つだ)
私が卒業した後、北に隣接していた大垣第一女子高校(廃校)の体育館を使っていた時期もあるそうだから、北高生は体育館に関してはぜいたくな運用をしていた時期があった。
そのかわりというわけではないが、私の頃は今と違って弓道場が小屋のような代物だったが。
弓道場は第二体育館に隣接しており、バドミントン部や卓球部の練習に弓道着のままよくお邪魔させてもらった覚えがある。
ハンドボール部の練習にはさすがにお邪魔させてもらっていないが。
俳句甲子園の話を書いていたら高校時代の部活動の思い出話になってしまった。