ウチの塾はとにかく間違い直しを徹底している。
「厳しいから賢くなれる」の「厳しい」とは、間違い直しを曖昧に終わらせない「厳しさ」だ。
「賢くなれる」のに必要な厳しさとはそういうことだ。
特に、考えて解く部分に関しては、解答を写すのでなく、自分で間違いは必ずやり直してもらう(解き直し)。
よく「お子さんにあった指導内容」というのを聞くが、間違いはそのお子さんにぴったりの最高の教科書だ。
ただ、間違いが目の前にあるだけでは教材としては生かせない。
その間違いを解き直して初めて学習になる。
もっとも、間違い直しが自分でできてしまうような間違いは教材としての価値は高くない。
分からない、できないから間違えたというものは教材としての価値がひじょうに高い。
それを分かるように、できるように導くのが指導者の腕の見せ所だ。
私たちの存在意義もそこにあると思っている。
お子さんの間違いと対峙する。
まずはお子さんがどこで間違えたかの分析作業から入る。
このとき解いた過程が細かくちゃんとノートに書いてある子は話が早い。
どこでつまずいたかが一目瞭然だからだ。
基本的に、分析作業は対話と問答による。
お子さんと対話し、問答してその受け答えからお子さんがどこを間違えていたのかを掘り下げる。
例えば方程式の文章題があったとしても、お子さんによってそのつまずきポイントは千差万別だ。
割合や速さの章問題で、割合や速さの考え方の根本が分かっていない(つまり小学生の内容だ)という場合もある。
時間はかかるが、そこに立ち戻って学習しないといけない。
それを「こういう文章題はとにかくこう解く」式の指導で終わると、方程式を完成させるときに全然違うものを等号で結んだりということになる。
いわゆる「ボタンの掛け違い」という状態だ。
面倒でも立ち返って分からないところを解決しないと次に進んではいけない。
そこまで立ち戻る必要がない生徒もいる。
数字では考えられても文字で置き換えることができないという場合もある。
根気よく数字でたくさん練習してもらい、文字で置き換えても同じだよということを染みこませる。
何を等号で結んだらいいのか分からないという子には文をよく読んでもらい、ここに等号で結ぶ鍵の文があり、こう書いてあるところからこう等式にするというアドバイスが必要だ。
式は作ったが計算ミスをする子には途中式を改めてきちんと書いてもらう(そうでなくても途中式についてはきちんと書いてもらっているが)。
それは間違いを防ぐという目的だけでなく、先ほど書いたようにどこで間違えたかの確認もしやすくなるからだ。
私が確認しやすいのもあるが、本人もあとでたどっていって見つけやすい。
式を解いて答えとして出た数値が問題の解答ではない場合もある。
Xの値が答えでなく、そこからさらに計算が必要なケース。
そこで先ほど言った根本から理解をしていないと、さらに計算が必要な意味が分からない。
これはこうするものだとお子さんに押しつけてもその場しのぎで、テストで役には立たない。