通知表の回収中。
まだ見せてくれない子は(忘れた子は)早めに出してほしい。
反省も書いてもらっている(中3はもう「反省」しない。入試に邁進するだけだ)。
持ってきてもらったものを拝見すると、45に近い子が何人かいる。
凄いなあと感心する。
例えば高専の推薦だと近年はそれに近い数字を目指す勢いでないと合格が難しい学科もあるので、あまり驚嘆してばかりもいられないが、私個人の中学時代を想起するとやはりすごいなと思う。
私の中学時代、5×9教科=合計45はとったことがない。
英数国理社の5教科で5を外したことは2回しかないが(前も書いた記憶があるが中1・3学期の数学と中3・1学期の社会で4をとってしまった。この歳になっても覚えている。それぐらい悔しかったのだ。それぞれの事情までも鮮明に覚えている。授業では言っているがここには書かない)、実技教科では頑張っても4までということがほとんどだった。
中3の2学期、音楽で5をとったのは覚えているが(音楽の5はこの1回だけなので記憶は鮮明だ)、
保健体育に至っては4もとったことがない。
一度もないはずだ。
保健体育はいつも3だった。
頑張っていたが(不真面目ではなかったと思うが)3だった。
とにかく苦手すぎた。
肥満児で運動が全く駄目(走っても学年で最下位を争うレベル)、走るよりも転がったほうがいいぐらいの見た目だった(さすがにそんなことはないが)。
そしてその小学生からのコンプレックスが余計、駄目に拍車をかけた。
美術も3が精いっぱい。
小学校の図工からまったく駄目だった。
中学3年間で美術で一度だけ4がついたとき(中2の2学期だったと思う)は、半ばやけくそで作った彫塑をなぜか先生に「芸術的」と褒められ「市展に出そうか迷った」とまで言われたときだった。
この私の作品が芸術的?
訳が分からなかった。
技術・家庭科は3年間安定して4だったが、あるとき「実習頑張ろう、4の下」とわざわざコメント欄に書かれた(3年間同じ先生)。
つまり技術科の実習で作ったものの評価ではとても4はあげられないが、プリントその他提出物とテストの評価で4をあげようということのようだった。
このように実技4教科(特に美術と保健体育の2教科か)には碌な思い出がないのだった。
さすがに今のウチの塾生に勘違い組はいないと思うが、英数国理社の5も音美体技の5も同じ5である。
公立高校入試では9教科の内申点は平等に扱われる(なお私立高校などは5教科の評を見るところもある)。
極端な話
、5教科すべて5でも実技4教科がすべて1だったら合計は5×5+1×4=29にしかならない(そんな生徒には今までお目にかかったことはないが)。
、5教科すべて5でも実技4教科がすべて1だったら合計は5×5+1×4=29にしかならない(そんな生徒には今までお目にかかったことはないが)。
評定合計の平均レベルになってしまうのである(評定の合計平均は27ではない。27は平均以下なのである。その資料は入試結果とともに県教委が公表している)。
5教科同様、実技教科も頑張ってほしい。