この塾は高校生を教えていないので大学受験の日程感が今一つ分かっていないかもしれないが、今も昔も、共通テスト(かつてはセンター試験その前は共通一次試験か)のあとぐらいから私大の一般入試が本格化して、私大の入試が一段落したころに国立の二次試験があってという大雑把な日程の流れはあまり変わらないようだ。
違うのは、私の頃は北高でも2月上旬を過ぎると自宅学習期間に入って学校の授業がなくなっていたものが、今の北高はというと高校の卒業式の後、国公立大学の後期試験前まで授業があるそうだというところだろうか。
今の生徒は大変だ。
私は自宅学習期間だといわれても、家にいても何か落ち着かないので高校には自主的に通っていたのだが、教室にはもう友人たちはいない。
仕方がないので図書室に行き、そこで勉強したりしていた。
図書室の司書さんとはそのころすっかり顔なじみになっていた。
高2ぐらいからだろうか、図書室に足しげく通うようになった。
と書くと大変な読書家のように聞こえるが全然そんなことはなく、昼休みの暇を持て余して、「とりあえず何か読む本はないですか」と司書さんに聞いたぐらいの生徒だ。
本を借りるということが苦手だったので(借りただけで読まずに終わってしまう恐れがあった。持って帰るのが煩わしいというのもあった)図書室で読んだ。
そのとき司書さんが何気なく私に最初にすすめたのが「華岡青洲の妻」だった記憶がある。
それ以来、私は図書室に行っては自分で適当に本を手に取り読むようになった。
立ったままというのが私のスタイルだった。
座ると寝る恐れがあるので。
立ったまま棚にもたれかかって読む。
「邪魔だからあっちの席に座って」と司書さんには何度か言われた記憶もあるが、図書室内で場所を変えてはそれでも立って読んだ。
高2の後半ぐらいだろうからだろうか、英字紙(今は絶滅種のような言葉)を読むために朝、図書室に行くようになった(当時の北高は高2前半で部活はもう「引退」だったのである。野球部など一部の部を覗いて)。
当時、一般紙に並んで英字紙も図書室前の廊下に置いてあったのだ。
苦痛にならない楽しい英語勉強法はないものかと思った私(この発想からして私の本性が知れる)は、新聞好きなのを生かして英語の新聞を読もうと思い立ったのだった。
いきなり論説記事から始めても訳が分からないので、一般紙でも見たような記事を探したり、スポーツ欄を読んだり(記事の内容が中学生でもわかるくらい単純だった)するところから始めた。
大学生になった後も、しばらく旅先でジャパンタイムズを買ったり、開校したころのうちの塾には新聞を置いていて、その中には英字紙もあったのだが、いつしかそういうこともなくなった。
そういえば、高校の先輩で名古屋まで出て英語の本を買いに行った話をしてくれた人もいた。
今はそういうことをしなくても、英語の記事はネットにあふれているし、英語の本が欲しければアマゾンで注文すればいい。
時代は本当に変わったなと思うのであった。