起床。
既に自己採点で良い数字が出ており、今日の結果については例年ほどの心配はしていなかった。
(前にも書いたが、例年、自己採点して合計点まで出す生徒は半分もいないので、今年のようにいい結果が出揃うと気は楽になる。ただし、これでもし結果が悪ければ、本人にとってもつらい一週間になっただろう。今年の子たちはこちらの制止も振り払って自ら進んで自己採点したが(ちょっと大げさ。でもそんな雰囲気だった。手応えがあったのだろう)、来年以降も入試後の自己採点を強制するつもりは無い)
だが、そういうときこそ、落とし穴が待っているときもある。
油断はできない。
何年この日を迎えても、私は“合格発表のベテラン”には、なれそうにもない。
今日の最初の行き先は大垣商業。
これはもう出願が締め切られた段階で決まっていた事項だ。
発表の日、最初にどこに行くかは決めてある。
彼らにもそう宣言していた(ただし、例によって行き先は公表してなかった)。
一番倍率が高いところに行く。
年によっては、特に気になる生徒が受けたところを先にするときもあるが、今年に限ってはそういう生徒はいない。
最後の最後まで、あまり心配をかけない、いい子たちだ。
だからシンプルに、一番倍率が高いところへ行くことにしていた。
ここまで書いておいて何だが、実は今朝も車を南進させる間に少々の迷いが生じなくもなかった。
が、この前と同じ例の交差点で、またどっちに曲がるのか、それとも曲がらないのか、気持ちがぶれないよう、一つ手前の信号で左に入るという新しい手を打った。
これで迷いなく大商へと行ける。
行くしかない。
駐車場として開放されていたグラウンド、前日の雨でかなりぬかるんでいる。
時雨だから大したことないと思っていたが、こう見ると意外に雨量があったようだ。
普通ならとても駐車場にはできないほど、どろどろである。
しかし、他に場所はない。
その中を、今年も野球部員の生徒たちが誘導を手伝っている。
泥だらけの中、本当にお疲れさまだ。
これだけ多くの車が去った後は、彼らを含め、運動系の部の生徒たちがここを練習に使うはずだ。
グラウンド整備も大変だろう。
当然こちらも泥だらけだが、彼らのそういう苦労を想像すると、自分たちがどろんこになるくらい、何てことないなと思う。
ちょうど車も汚れていたところだし、スーツも(こんなことは予想していなかったが)クリーニングに出す一歩手前のを選んで着てきた。
前にも書いたが、どっちにしろスーツは安物だ。
ほんと、どうにでもなる。
挨拶をしてくれる野球部員たちにいちいちお辞儀をしながら、誘導されるままに車を駐める。
そのとき、ふと前を向くと、うちの塾生とそのお母様が泥の中を歩いて行かれるところだった。
自分も直ちに続こうと、車のドアを開け、一歩足を出してみたが、その瞬間から何とも言えない感触が足の裏に伝わり、すたすたと歩ける状況にはない。
靴はたちまち泥だらけになり、振り返るとはねた泥はズボンにも付いている。
合格発表の日、雨で、あるいは雨上がりでグラウンドが濡れている状態は何度か経験しているが、ここまでぬかるんだ状態は初めてかも知れない。
どうにか泥沼を脱出したあたりで、もう掲示場所からこちらに向かう人たちがいる。
そういえば、まだグラウンドに入る車列にいるところで、ラジオが9時を告げていた。
発表はもう始まっていたのだ。
泥沼の中の車にわざわざ戻ってくる人たちは、つまり残念だった人たちだ。
泣いている子もいる。呆然としている子もいる。
毎年どこかで見てしまうが、本当につらい光景だ。
いずれも見知らぬ子たちではあるが、この子たちが進学することになる学校で、楽しく充実した高校生活を送れることを切に願いながら、すれ違う。
そんなすれ違いをいくつかした後に、掲示場所に着いた。
いつものプールの前。
マイクを使って「第2志望、第3志望も確認してください」という注意の呼びかけ、そして早くも番号の確認が終わったら合格者は体育館に入るよう指示もされている。
といっても、まだついさっき貼り出されたばかりのはずだから、まだ大勢の生徒や保護者の方が掲示板の前にいる。
ウチの塾の生徒たちの姿は…見当たらない。
とりあえず、先に番号の確認だ。
大商の合格者掲示は高いところに掲げてあるので、人陰に隠れて見えない心配はあまりなのだが、そのぶんやや遠めになり、字がやや小さいのもあって近くに寄らないと分からない。
人だかりの中で、なるべく邪魔にならないような位置を見つけ、どうにか確認作業。
…全員、合格している。
さっきあまり心配はしていないと書いたが、実際に合格を確認すると、やはりほっとするものだ。
その後、掲示板を離れて周りを見回したが、やはりウチの塾の関係各位の姿は全く見当たらないので(後で聞くに自分の目が節穴だっただけのようだ)、ここを去ることにする。
この時点で、まだ誰からも電話はない。
車に戻る途中、まさに泥に足を入れながらそろりそろりと歩こうかというところで、岐阜から電話があった。
ありがとう。
一番の電話、弾んだ声で合格を知らせてくれるだけでもちろん嬉しいが、これで岐阜まで敢えて走らなくてもよくなったという実務的な意味でも大変ありがたい知らせだった。
ようやくのことで車に乗るとさらに着信あり。
東高から、一人目の電話だ。
「○○です。りす…普通科合格してました」
彼女は普通科志望だったので(というか、今年の賢学塾東高受検生は全員が普通科志望だ)、「りす」と言った瞬間、やや凍り付きかける。
びっくりしたわーと伝えておいたが、本当にびっくりしたのだ。
まさか自分の合格学科を言い間違えるとは。
何か思うところがあったのだろうか。
それとも、どっきりの類だろうか。
電話を切り、エンジンをかけて走り出す前に、北高から電話。
その1本の電話で、北高受検生たちの合格報告はまとめて終わった。
電話が集中する中、こういうのはありがたい。
そういえば、去年は東高の男子受検生一同がまとめて合格を報告してくれたっけ。
自分の中でもそんなことを思い出す余裕が出てくる。
が、まだ確認作業は道半ば。
これで3校の確認が済んだので、まだ電話をもらっていない東高(の残り)と南高の合格を確認するのが先になる。
当初の予定では商業の次は北高だったが、変更して東高に向かうことに。
その途中、立て続けに連絡が入る。
車を止めて、電話に出る。
今年の東高は全員バラバラだ。
一つ切るとまたかかってくる感じ。
その間に南高からも電話。
昨年までの反省を踏まえ、今年は電話を2つ持っている。
それで次々に受けることができたのだが、考えてみれば2つ同時にかかってくることもあるわけで(今日は少しの差でまったくの同時には鳴らなかった)、電話が2つあっても根本的な解決策にならないことを悟る。
昔の商品市場とか為替市場のディーラーのような電話の使い方ができたら別だが、あんな曲芸は自分にはできない。
来年からはまた再検討が必要だ。
こうして車が進まないまま電話を受けている間に、9時25分、全員の合格が確認できてしまった。
今年も早かった。
本当にありがたいことだ。
ここからは合否確認作業でなく、「春の高校巡回ツアー」である。
まず、東高から。
到着は9時40分頃だったろうか。
受検生と保護者が体育館へと移動し終えるところだった。
人がほぼ消えた掲示場所で、番号を確認。
さっきの電話の通り、全員の番号を確認。
もう急ぐ旅ではなくなっているが、誰もいない掲示場所でぼーっとしていても仕方がないので、喜びをかみしめつつ、その場を去ることにする。
駐車した公園のテニスコートで、東高のテニス部が練習をしていた。
そこにかたまっていた生徒の中に、卒業生を一人発見。
去年合格したM君だ。
車座になって座っていたが、私に気付き、フェンスの向こうで立ち上がってくれる。
手を挙げて答える。
だけでは寂しいので(休憩時間のようでもあったし)、元気?勉強してる?と声をかける。
勉強してます、とやや緊張したように答える姿は、1年前とあまり、いやほとんど変わらない。
とにかく元気そうで何よりだ。
彼もまた、すばらしい生徒だった。
もっといえば、彼のお兄さんもすばらしい塾生だった。
言われなくてもちゃんと勉強しているだろう。
余計なお世話とはこういうときに使う言葉かもしれない。
もう先を急ぐ用事は無くなっているが、他にも部員がたくさんいる中で込み入った話をするのも何だったので、それくらいにして車に乗る。
南高へ向かう。
遠くを見やると、養老山地には白いものが。
昨日からの時雨、山では雪だったんだなあ。
車の中は春の陽気だが、外の風はひんやりしている。
なにやら不思議な感じだ。
確か去年の合格発表は花粉がキツイぽかぽか陽気だったはず。
ほぼ同じ日でも年によってこれだけの違いがあるものだ。
雪が降らなくてよかった。
もうタイヤを履き替えてしまっていたのだ。
南高では去年と同じように川沿いの桜並木をのんびり歩く。
当たり前だがつぼみはまだかたい。
今年の開花は例年通りだろうか(よく分からない)。
そしていつもの掲示場所に行くと、今年はそこに受検生はもちろんのこと、在校生も1人もいなかった。
いや、在校生自体はグラウンドその他いろんなところにいる。
例年、掲示場所のあたりでしゃがんだりうろうろしたりしながらしゃべっている在校生がいるものだが、そういう様子がない。
完全な無人。
しーんと静まりかえっている。
これも寒いからだろうか。
隣の体育館の扉もかたく閉ざされ、合格者や保護者に説明をしているはずの中の声もあまり伝わってこない。
そんな中で番号を確認。
電話で既報の通り、ちゃんとある(当たり前だ)。
卒業生に会うことも無く(ただ、ここはもともと人数が少ないから確率的には厳しいものがある)、もと来た桜並木を北に歩いて駐車場に戻る。
次は西高だ。
現地に着くと、合格者を「出待ち」しているように見える在校生たちを結構見かけた。
残念ながら今年は去年のようにその中に卒業生を見つけることはできなかったが、これが合格発表の風景だよなあと古い人間は思う。
私が高校生だった頃は、合格発表はこういうふうに部活動の勧誘の場だった。
今と違い9時発表→10時から説明という長閑さだったのもあるだろう。
弓道部では胴着と袴を着て弓を持ち、意味もなく付近をうろついてただ存在をアピールするのが習わしだった。
今の北高では、そういう風景は見られない。
もちろん、西高や商業の生徒のように合格者を出待ちするなんていう光景も見られない。
いつからなくなったかなあ。
定かに覚えていないが、この仕事を始めた当初は、まだあった気がするが、どうだったか。
二十数年の間に入試制度もころころ変わっており、記憶もどんどん曖昧になっている。
こういう誰も読まない駄文を書いているのも、そういうときのための備忘を兼ねているのだった。
さて、話を戻そう。
西高では今年も2階の渡り廊下に吹奏楽部員たちがいた(が、私が行った頃は合格者も外に出てきていないため、演奏は中断していた様子だった)。
寒い中、ご苦労様である。
その他、在校生たちが体育館の前あたりでうろうろしている。
そこをすり抜けるように掲示場所に行き、様子だけ確認。
ウチの塾から西高希望者は2年続けて出なかったが、来年こそは出るだろう。
今春はやや意外な定員削減となり、やや厳しい環境に置かれつつあるようにも見えるが、一時の苦境から学校を挙げた取り組みを展開して、まさに“新しい風を西から吹かせて”、驚くほど人気を爆発させたこともある学校だ。
それに関わった皆さんの苦労が報われるような今後であってほしいと思う。
さて、ここまで来て(去年とは異なり)まだ北高に行ってない。
商業でも必要最低限の合格確認をしただけだ。
次は北高、そして最後にスタート地点の商業に戻って、今日の巡回は終了とする。
北高に着いたときには、もう午前11時をまわっていた。
当然、発表場所には誰もいない。
掲示板を“独り占め”である。
番号を確認。
ウチの生徒たちの番号が、わりと下のほうに固まっているのを見つける。
去年のあの人だかりを思い出し、なかなか見つからなかったのではないかと、ほんの2時間ほど前にここで繰り広げられたドラマを想像してみる。
思えばさっきの電話、一人は涙声だった。
さっきは泥のことばかり話題にして書き漏らしたが、彼女の電話が最初涙声だったので、私はほんの一瞬だけ、とても緊張したのだった。
私が「余裕をもって大丈夫だろう」と考えていた生徒でも、本人にとっては別なのだ。
私が涙声を聞いて緊張するのとは比べものにならない、彼女の人生で最大といっていいだろう凄い緊張の中、掲示を待っていたに違いない。
とにかく合格してよかった。
さて、ここまで来てやや疲れてしまったので、北高→商業への移動は、いつもの裏道ではなく、21号線に出る。
商業に再びやってくると、合格者がちらほら、体育館から出てくる様子が見える。
番号を確認。
さっき見たんだからもちろんある。
会計科、情報科それぞれに総合ビジネス科から流れてきた合格者が見られる。
3学科の受検番号が激しく入り乱れる掲示板。
ウチの生徒は全員が第一志望の学科に合格したが、そうでない生徒もたくさん出ているようだ。
受検生の希望と学科ごとの定員、なかなかうまくはまらないものだなと思う。
来年は、どうなるのだろう。
塾に戻ったころにはお昼近くになっていた。
すぐに電話に向かい、着信履歴を確認。
携帯に転送されなかった電話が、今年も何本かあったようだ。
「ちっとも連絡をくれないから心配したよー」なんて言ってしまった子の番号が、実は着信履歴の一番最初にあるのを発見。
その後、時間をおいて数回目で私につながったようだ。
何度もかけ直してくれていたのである。
あのとき彼女はそんなことを一言も言わなかったが、そこがまた一段と申し訳ない。
今度会ったら謝っておこう。
思い返すとその時間は、発表直後で商業の掲示場所の人だかりのただ中。
一番最初にかけてこちらが通話中であるはずはないので、携帯の電波がうまく通じてくれなかったのだろうか。
考えてみれば北や東と違い、商業のまわりは住宅密集地とは言いがたい。
電波が密では無いのだろうか(ただの憶測)。
そこに合格を知らせたい人たちの音声発信や通信が殺到して、つながりにくい状況になった可能性はある(ただの憶測)。
ほかにも商業の合格者で、私が現地にいた時間帯に電話をくれた生徒がいる。
すぐに体育館に入るよう言われていたので、きっと焦ってかけてくれたに違いない。
本当によい子たちだが、こちらの対応が残念だった。
電話を2つ持つ作戦、結局のところうまくいったとは言い難い。
いよいよ私もLINEでもやって連絡をとれるようにしたほうがいいのだろうか。
これまで頑なに拒絶してきたが、そろそろ年貢の納めどきなのかもなあと感じさせた瞬間だった。
いただいたメールでの合格報告に返事をして(あとで確認したらこの子の場合も電話の着信履歴があった。電話が駄目なのでメールに切り替えていただいたのだろう)、昼食のため、いったん帰宅した。
(続く)