目覚めると、雨は上がっていた。
薄日も差している。
昨年に続き、今年も少しだけ寝過ごしてしまった。
今年は去年と違い、天気のことに関しては腹を括っていた。
雨が降ろうが雨具のことなど考えず、ずぶ濡れになっても立っているつもりだった。
季節の変わり目だ。
濡れたらクリーニングに出せばいい。
そもそも、自分のスーツはどれも安物である。
21世紀に入ってからの安物スーツの生産国の変遷で地理の授業のネタが一つできてしまうくらいのものだ。
だから、去年のように悩むことなく…と書きたいところだったのだが、昨晩、風呂で悩んで、食事をしながら悩んで、そして寝床で悩んで、最後まで決められなかった。
-どこの高校に行くか。
昨日の段階で、まだ決めていませんと彼らには言っていたが、まさか朝になっても決まっていないとは自分でも思わなかった。
優柔不断。
結局、目的地は東高と決めて家を出る。
それが7時ちょうどくらいだったから、去年よりは少しだけ早かったか。
南進する。
去年、一瞬だけ迷いが生じた例の交差点に近づく。
改めて時計を見る。
去年よりは少しだけ到着は早まりそうだが、それでも一部の生徒には会えない可能性が頭をよぎった。
ここで今年もまた、迷いが生じる。
そもそも、東高は今年の行き先候補の3番手だった。
学校全体で見れば、倍率の高い高校がほかにある。
といっても、普通科だけならそこそこの倍率であり、全体倍率から受ける印象ほど楽観できる戦いではないが、唯一の応援先としてはどうなのか。
今年、ウチからの受検者が最も多い高校であることを考えてもだ。
他方、今年は2年ぶりに塾生が受ける、それもこの塾としては結構な人数受ける商業のほうが、全体の倍率はずっと高い。
さらに言えば、東高普通科よりも北高のほうが倍率は高い。
それでも敢えて東高を選んだのは勝手を知った現場であるという個人的都合が大きかった。
開校してから22回目の春。
これまで何度、東高の門前に立ったか、正確には記憶していないが、たぶん、半分以上は
東高だったと思う。
特にここ数年は、連続して東高だった。
他校の入試当日の雰囲気など忘れてしまいそうなほどだ。
東高に出かけることが多いのには理由があって、まず東や北は、ウチから受ける生徒が、
安定してそれなりにいること。
ウチの進学実績を見ての通りの話だ。
これが南や西や商業となると、この塾からは誰も受けない年もある。
今年は西高受験者が出るだろうと昨年春の段階では思っていたが、結局、2年続けていなかった。(ちなみに一昨年は結構いた)
また、南高は受ける生徒がいる年でも、数が少ない。
一人しか受けないのに敢えて私がやってくることのメリットデメリットについては昨年も書いたから割愛するが、応援しやすさから言えば、南高には行きたいくらいで、今年、東高を受験する生徒の中に去年前半は南高に行きたいと書いていた子もいたので、来年こそは南高に行けるかなと思っていたのだが、今年も人数の関係で候補からは外れたのだった。
そういうわけで、残るのは北か東かという選択になるのだが、北と東では応援のしがいという点で大きな差がある。
北高は送りの車が中まで乗り入れるため、外にいる我々には生徒への直接の声かけが難しい。
本人たちに事前に行くことを伝え、ここにいるから来てねと言っておけば接触も可能なのだろうが、それでは応援する側のために生徒たちにご足労願うような本末転倒な状況になる。
“先生に会いたかったー”というノリの塾ならそれでいいのかもしれないが、ウチはそういう塾ではないし、応援の本旨を考えれば、やはり何かが違うように思えるのだ。
その点、東高なら普通に歩いてやってくる生徒を門前でつかまえることができる。
去年デビューした塾の幟を使えば視認性も抜群だ。
彼らも無理せず、すぐに私を見つけるだろう。
そうやって東高を選択する年が自然と多くなるにつれ、年々さまざまな状況を観察し、おそらく高校の先生よりも入試当日朝のドラマを幾多も見てきたとさえ、自負できるようになってしまった。(大げさ)
要するに「若くはなくなった」というだけのことなのだが、なんと言われようが勝手を知った現場は、やはりやりやすい。
そんなこんなで、今朝も気づいたら、東高を選択していたのだった。
保守的な自分にやや呆れながら。
こうして最終的に東高を選択して家を出ておきながら、ここに来てまた迷ったのである。
さて、件の交差点。
右に曲がれば北高、左に曲がれば商業だ。
“西濃地区最高倍率の商業に行かなくていいのか”
“東高よりも倍率が高い北高に行かなくていいのか”
心の中の別の自分が次々にささやく。
そして時計を見たのだった。
-東高に行けば、今年も応援漏れが発生するかもしれない。
昨年も一昨年も、こちらの到着がやや遅く、応援できずに終わった生徒を1,2名出してしまっている。
西部中の指定する集合時刻は他の中学校よりも早いうえ、ウチの生徒は真面目な子が多く、それよりもさらに早めに行動するケースも珍しくない。
それにあわせて、こちらも出発を早めないといけないのだが、なんだかんだで今年も想定通りには行かず、ここに至ってしまった。
今年も応援漏れを出したら3年連続だ。
それではあまりに情けない。
と、次の瞬間、ハンドルを切ることを決めた。
しかし自分は南進を続けるつもりで右車線を走っている。
朝のこの交通量で、今さら車線変更しての左折は無理だ。
右折しかない。
結局、ウインカーを右に出し、ちょうど目の前に現れた右折車線に車体を差し向けていたのだった。
何年ぶりだろう。
昔は北高にもよく来ていた。
特色化選抜、一般選抜と2度の入試があった頃には、2回ともここに来た覚えもある。
ところが近年は倍率が高くても、受験者が塾内で最大人数でも、避けてきた。
主な理由は先ほども書いた応援のしにくさである。
だが、久しぶりの北高だ。
生徒たちに直接声かけができなくても、幟を持って立っている姿を見て笑ってもらえるだけでもいいし、それが終われば門前の様子をじっくり観察し「勉強」させてもらうのも悪くない。
そんなふうに自分で「意義」を作り出した。
現地到着は7時15分頃だったろうか。
正門前の同業者の人だかりに自分も入った。
その同業者さんたちから挨拶をされ、こちらも返す。
自分が来たとき、そこに立っていたのは、大手と呼ばれる塾の面々だけだった。
珍しいのが来たな、そう思われたかもしれないが、それ以前にこの小さな塾の存在など知らない人がほとんどだろう。
たぶん、彼らの視野に私は入っていない。
北高では歩いてくる一部の子を除き、受検生とは接触できないことは広く知られているのだろう。
去年までの東高でよく見かけた宣伝の配り物をする業者がいない。
門前にいるのは応援の塾関係者だけのようだ。
幟の棒を伸ばす。
準備は整った。
しばらくして、早速一人目が登場。
西門から入ってきた車が、正門付近を蛇行して東のほうへと向かう、その瞬間にほぼ正対できるちょうどいい角度のところに立てたので、幟を掲げて存在をアピール。
…しかし、お母様も本人も私の存在に全く気付いた様子も無く、車はすーっと目の前を通り過ぎていった…。
あっけにとられているうちに東の駐車場で車を降りた本人はこちらを一瞥することもなく、そのまますたすたと奥の方へ。
彼女はそこまで冷酷でも無愛想でもないはずなので、本当に全く気づいていないのだろう。
がっかりするとともに、激しい後悔の念におそわれた。
これじゃ、東高に行って応援漏れを出すのと、結果的に同じじゃないか。
自分のとっさの判断は間違っていたのかもしれない。
だいたい、昨日からさんざん考えて東高と結論したはずだ。
それを瞬間の判断で変えた自分がいけない。
迷ったら最初の判断だと生徒にも言ってあるのに。
こういうことも想定されていたことではないか。
そもそも、彼女らは私がここに来ることも知らされていないのだ。
そのうえ、昨年まで東高によく行っていることは以前から聞かされていたのだから、むしろ想定外のことだろう。
いろんな意味で、私が悪い。
自己嫌悪に陥りながら、次を待つことにした。
幸いなことにその後やってきた別の受検生には車で目の前を通過する段階でちゃんと気づいてもらえたのが、せめてもの救いだろうか。
しかし、このままでは後味が悪い。
何とか存在を分かってもらえないものかと正門付近を離れ、やや東に移動する。
管理棟の陰に隠れるような場所に彼女たちがいたら駄目だが、見える位置にいたら、遠目にでも確認してもらえるかもしれない。
幟を高く掲げ、祈るような気持ちで奥の方を眺めた。
するとどうだろう、管理棟の東端に沿ってまっすぐ奥を見通したあたりに、彼女たちらしき姿が、なんとなく確認できる。
少し反応してくれたような気もしたが、視力があまりよろしくない自分には、はっきりとは確認できない。
たぶんそうだろうと念じつつ幟を振った。
そうやって幟を持って立っていると、東のほうから歩いてきた受検生らしき一団が、後ろを通過していく。
“これが入試なんやなー”“いつもと全然違うなー”“なんか気分が出てきたわー”
背中越しにそんな言葉を聞いて、思わずにやっとする。
いっぽう、彼女たちは学校の集合時刻を過ぎたあたりで体育館のほうに移動してしまった。
そうなるともう自分に用事は無いのだが、もうしばらく、この門前の様子を見届けようと幟をすぼめて観察することにした。
7時40分を過ぎたあたりから、送りの車が一段と増えた。
7時50分前後が一番多かっただろうか。
当初、北高の車両誘導システムは実に上手く機能していたが、さすがにこれだけの車が1度に来ると捌ききれなくなる。
西門のほうを見やると、とうとう敷地に入れない車が道路に並びだした。
敷地内では先生たちが何人も立ち、「奥の方で降ろしてください」と必死に呼びかける。
特に女性の先生の声が一番通っていたように思う。
しかし、入る車ばかりでない。
当たり前だが今度は出る車も詰まってくる。
出口、すなわち東門でも先生たちが複数立ってなんとか捌こうとしている。
結局、道路にはみ出そうなほど激しく混んでいたのは、ほんの10分ほどだろうか。
あとはどうにか順調に流していたように思う。
すばらしい。
もちろん、これでもひょっとしたら、苦情が来るのかもしれないが、これで苦情を言う人には、私のほうから説明して差し上げたいくらいのものだ。
セールの日など、某衣料店のほうがよほど酷い渋滞を引き起こしている。
やがて8時をまわり、受検生たち全員が体育館へと移動。
新しくやってくる生徒もほぼいなくなった。
この段階で同業者たちも次々と撤収。
このあたりはどこも変わらない流れだ。
私はその後もしばらく居残るつもりでいたが
次の瞬間、判断が変わった。
「8時20分まで!」
敷地の中ほどにいた先生が、西門で「←P」という看板を掲げる先生に大きめの声をかける。(先生なのか職員の方なのかは分からないが、ここでは全て先生として取り扱うことにする)
私はこれを聞いて、「安心して」立ち去ることにしたのだった。
私が立つことの多い某高校では見られない対応だった。
某高校は受検生の波が収まる8時過ぎには、門前から職員のみなさんも撤収してしまうことがあるのだ。
経験上、その後もちらほら受検生がやってくることを知っている自分は、完全な他人事ながらやや心配になって、一人立っていることが多い。
するとどうだろう。
去年もそうだったが、やはり何人かはその後にやってくる(もちろん、ウチの生徒ではない知らない生徒たちばかりだ)。
事前に体育館で説明することは知らされているのだから、校内に入ってからの行き先は分かっているのだろうが、それにしても門前が閑散とした光景には、不安や緊張が走るだろう。
この地方の生徒ならまだいい。
高校側の正式な集合時刻は8時20分だ。
それをめがけてくる他県や他地方からの受検生は、入試当日とは思えない光景に動揺してしまうかもしれない。
何を隠そう、私はそういう光景に大昔、出くわしたことがある。
このあたりでは見慣れない制服を着た受検生が一人、歩いて現れ、私以外に誰もいない門前で焦る様子を、約20年前に見ているのだ。
「今日って入試ですよね…」
不安げな彼女の言葉は今も忘れない。
静まりかえった正門前で、彼女が確認を求める相手は、私しかいなかったのだ。
「はい、そうですよ。みなさんもう奥に入っていますが、間に合っていますから、大丈夫です。そこから奥の体育館のほうに向かってくださいね」
私は職員でもないのに職員のように彼女を誘導し、彼女はそれで安心したのか(どうかは分からないが)、まっすぐ体育館のほうに向かって歩いて行ったのだった。
彼女はそもそも遅刻などしていない。
地元各中学校が設定する集合時刻がとても早いため、そんなものに縛られない(おそらく他県から引っ越しか何かでここを受けることになったのだろう)受検生にとっては、伝えられた集合時刻に十分間に合っているのに、まるで遅刻したかのような仕打ちを受けてしまうのである。
公式に「8時20分」を集合時刻としている以上、その集合時刻ギリギリまで誰か外に立つのが当然ではないか。
ほぼ20年近く前のその経験以来、私はずっと気になっている(ちなみに約20年前、集合時刻は8時30分であった)。
その高校は、私が行く限りにおいての観察結果だが、集合時刻ぎりぎりまで職員の方が立っている年もあれば、昨年のようにさっさと引き上げてしまう年もある(と書くとどこの高校か分かってしまうな(苦笑))。
あれはどうなのかなと、いつも気にして見てきたのだ。
一生懸命な交通整理に、決められた時刻までのきちんとした対応。
今の北高のありようについては複雑な思いを持ってみている自分だが、今日の対応には大変好感が持てた。
帰り際、「←P」の看板を掲げてまだ外に立っている先生のほうから、挨拶をされる。
後ろから近づき、横を通り過ぎようという私に先手を打って挨拶できるこの先生は、後ろに目がついているのだろうかと一瞬驚いた。
高校によっては、いや、先生によってはというほうが正解だろう。
塾屋など虫けら同然の扱いのところもある。
私はこの業界に入って以来、別に虫けらで構わないと思っているので、それに怒りを覚えたりはしないが、虫けらだと自覚しているところ、人間扱いされると大変緊張してしまうのだった。
邪魔にならぬよう、会釈だけして去ろうとしていた私は、「おつかれさまです。失礼します」とだけお応えして去ったが、本当は
「お仕事ぶり拝見しておりました。誠心誠意の対応、すばらしいですね…」
と話しかけたい心境だった。
しかし相手は大事な仕事中だ。
迷惑になるのでやめておく。
果たしてそのタイミングで向こうのほうから、おそらく受検生だろう、徒歩で高校に向かう親子連れが現れたのだった。
話しかけなくてよかった。
今日のことは、今度の授業で生徒たちにも話しておきたい。
自分の優柔不断さやら生徒の一人に気づいてもらえなかったことなど半ば忘れて、実に清々しい気分で帰路についたのだった。
(続く)