2018年3月15日を終えて

 起床。
 
 いろいろ考えていたら結局夕べも大して眠れなかった。前職も入れるとかれこれ四半世紀ぐらい、この日を迎えているのだが(そう改めて考えると別の意味で恐ろしい)、何回経験しても発表の日は緊張する。
 
 身支度をして午前8時40分頃、家を出る。今日の目的地は最初から北高と決まっていた。やはり倍率の高いところから見に行かなければならない。子どもたちは現地で自分の結果を受け止めるのだ。私も真正面から受け止めなければならない。その覚悟がないなら、自分にはこの仕事をする資格はない。
 
 到着。今年は午前9時よりも前に現地に着く。正門から入り(この時間は例年、正門からしか入れないようにしてある)、私は多くの人が通る管理棟の東側でなく、西側を通って、渡り廊下など横断しながら発表現場に向かう。
 北高の「ピロティ」とやらには、既に大勢の受験生(本当は公立高校入試の場合、「受検生」だとはもちろん分かっているが、今日の文章では混在している。あらかじめご了承願いたい)と保護者、そしてその他関係者が集まっている。拡声器を使っての説明がされているところだった。掲示板が置かれる場所の前には大勢の人だかりができているが、それを遠巻きに見守るように、北側の校舎(教室棟)の壁に寄りかかって立つ。
 やがて黒い覆いをされた状態の掲示板が運び込まれ、午前9時ちょうどにそれが取り払われると、直後から歓声やら奇声やらいろいろな声が沸き上がる。少しだけ間を置いて、私も徐々に見える位置に移動。あまり邪魔にならないよう、なるべく遠目で確認しようとする。1人は上のほうの番号ですぐ確認できた。さらに前に進み、残る子たちの番号を確認。結構あっさり見ることができた。すぐ後退して、再び北側の校舎の壁を背にして立つ。そして、受検生・保護者が多く集まる、東側のほうへと移動。
 そのとき電話が鳴る。北高の受検生からだった。見渡すとすぐに本人の姿も分かったので、ここですよ、と手を振る。彼もすぐに気づいてくれたようで駆け寄って握手。お母様もいらっしゃった。お母様が彼と私の2人を校舎を背景に撮影。現地で自分が写真を撮ることはないので(そもそも北高は受検生と保護者以外の写真撮影をだいぶん前から禁じている)、こういう機会は珍しい。そしてまた電話。今度はどこから?と思ったら、またしても北高の受検生だ。彼は芝生のど真ん中、人があまりいないところに抜け出て、周りを見回している。一段高いところにいる私はすぐに彼を見つけたので、電話で話しながら、90度回転、いや反対側を向いて、そこから45度回転、うーん違う、などと彼と遠隔操作ごっこのようなことをしているうちに、ようやく見つけてもらう。派手に手を振っていたので周りにも奇異に移ったかもしれないが、そんなことには構っていられない。彼の家はお母様だけでなくおじいさまとおばあさまもお越しだった。私の記憶が確かなら、3年前の春、この塾に最初にパンフレットをもらいにやってこられたのはおばあさまではなかったかと思う。おじいさまにはその後何度もご来訪いただいてご挨拶をして来た。いろいろ心配をしておられたお母様は感無量だったのだろう。私とまさに手を取り合っての歓喜となる。
 そうこうするうちに他の受検生とも無事に合流でき、こうして北高での確認作業はあっけなく終わったのだった…が、他の高校を受けた生徒からの連絡が全くない。電話が鳴ったのはいずれも自分が立ち会っている高校の生徒からという、喜びを分かち合うにはこれ以上効率がよいことはないが、確認作業的にはちょっと困った展開となっている。さっきの「遠隔操作ごっこ」中に電話をもらって、つながらなかった可能性もある。みなさんとゆっくりお話ししているわけにもいかず、さっさと北高を後にする。
 
 そうそう、北高では前職の先輩と十数年ぶりにお会いしているのだが、お互いのんびり会話しているわけにもいかない現場なので、軽く挨拶して終わる。定かに覚えてはいないが、私よりは一回りほど上の方のはずである。あまり変わらないご様子で、私もああいうふうに年を重ねられたらと思う。
 
 さて、話を元に戻そう。北高を後にするところだった。帰りは管理棟東側からまっすぐ南下して正門に向かうのだが、途中、物陰に隠れて悲しみに暮れ、あるいは肩を落として歩いて行かれる受検生・保護者を何組も見かける。50人以上も厳しい結果を突きつけられる今日の発表。本当につらい場面だ。見ず知らずの人ではあるが、思わず声をかけたくなる。ぐっとこらえて足早に現地を離れる。
 右手には携帯を握りしめたままだ。着信音が聞こえない場合に備え、普段ほとんど使うこともないバイブもオンにしてある。緊張の中、車に戻る途中で着信。岐阜方面からの電話だ。これで岐阜まで走る必要がなくなる。早々の連絡、ありがとう。
 車に戻ったら、また着信。今度は東高から。要領よく、同じ電話を次々と回してまとめての合格報告。これが1人だけだと「他はどうだった?」と聞きたくなるものだが(といって実際にはなかなか聞けない)、こういう報告は本当に助かる。…と男子全員の報告が終わったところで電話が終わる。えっ、女子のみなさんは?
 今日、最も緊張が高まったのはこの瞬間だ。だいたい、さっきの電話で最初に話したM君が「まず、○○ですが合格しました」とやや低いトーンで喋った瞬間も1回緊張している。その後、男子全員の合格が確認できたところまではよかったのだが、こうなると女子の誰かに何かが起こっているのではないかと、悪い方へと想像が膨らむ。そもそも彼らは男女で隔絶していないはずだから(その点、去年の卒業生(第20期生)は男女でほとんど別行動。授業でも教室の真ん中に鉄のカーテンが敷かれているような状態だったが、それとは雲泥の差だった)、これだけまとめて報告してくれるのなら「みんな受かっていましたよ」なんて言葉が最後に添えられていても不思議ないはずだが、そうでもなく切れてしまった。とりあえず、東高に急がなくてはならない。
 途中、着信が入る。車を止めて電話に出てみると、その東高からだった。落ち着いた声で合格の報。彼女は基本的に表情も声の調子もいつだって微動だにさせない子だから、彼女の落ち着いた声では余計な緊張は走らない。さっきの男子のように続きがあるのかなと思ったら、最後まで落ち着き払った会話が続き、どうやらその後はなさそうなので、別の着信に備えて電話を切ることにする。と、その瞬間、電話からなにやら声が漏れてきたのだが、もうボタンを押した後だったので手遅れであった。
 しまった、と思ってしばらく待っていると、再び着信。さっきの続きが、やはりあったようだ。こうして東高受検生は男女とも電話で全員の合格が確認できてしまった。ほどなくして南高からも電話が入り、午前9時21分(時計で確認した)、塾生全員の合格確認が終わる。たぶん、近年では最速の確認終了である。
 
 例年、この段階で確認できていない(というか連絡が入っていない)塾生が一人二人出るものだ。それは彼らが悪いのではなく、こちらの電話対応に問題がある。私は電話を1つしか持っていない。その結果、着信が重なるとつながらないわけだ。気を利かして方法を変え、メールで結果を送ってくれる子(や保護者様)もいる。が、電話してもつながらないというのを繰り返しているうちに、時間切れになる子もいるようだ。「時間切れ」というのは、高校側の合格者説明会が9時20~30分ぐらいには始まってしまうからである。こうして午前9時半ぐらいの段階で未確定の場合には、私が見に行かない限り、お昼頃、つまり彼らが説明会から解放された後でないと、結果が分からないわけだ。多い年で数名、少ない年でも1名はこういう事態が発生する。それで、以前は大垣桜とか大垣養老まで、緊張しながら走った年もあった。今年は受験校が絞られている上に、唯一遠かった岐阜市内からは早々に電話をもらっている。確認にまわっても1時間以内には全部結果が分かる状態だったが、それよりも早く合格の確認作業が済んだのは、本当にありがたかった。
 
 こうなるとこの先は、緊張の「合否確認作業」ではなく、各校の掲示をのんびり見てまわるだけとなる。既に合格が分かっている子たちの番号を改めて見て確かめる、春の高校巡りツアーである。ありがたいことである。
 
 まず東高。、9時半過ぎの到着。当然ながらもうひっそりとしている。合格者はもう体育館に入っているはずだ。誰もいない中で、のんびりと番号を眺める。当たり前だが、塾生全員の番号はちゃんとそこにある。ほんの30分ほど前、ここで塾生たちも歓喜していたのだろう、そんなことに思いを馳せながら、ぼーっと眺める。
 そういえば、一組だけ、受検生親子らしき方を見かけた。門のそばに佇んでいて、この時間帯にそこにいらっしゃるということは…と息をのんだのだが、しばらくして奥に走って行かれたので、後から来たために合格者説明会がもう始ま(ってい)ることに気づかなかっただけのようだ。間に合ったのだろうか。
 
 南高に行く。並木の桜はつぼみがだいぶん膨らんでいる。この暖かさなら当然だろう。来週には咲いて、入学式の頃には散っていそうだ。せっかくの見事な桜並木が、春休みに見頃というのはちょっと残念なものだ。西門をくぐり、フェンシング部の練習を横目に見て、いつもの掲示場所に。掲示場所はもう何年も変わっていないから、迷いなく進む。確認。部活の格好をした在校生たちが1年前、2年前の自分のことを懐かしんで番号を見ている。長閑であるが、ここでもほんの数十分前には悲喜こもごもの光景が広がっていたのだと思うと、何とも言えない気分になる。今年、南高は何年かぶりの高倍率となった。高倍率といっても他校に比べてべらぼうに高いわけではないが、それでも1.15倍だ。数年前には定員割れさえすることがあったことを思えば、35人もオーバーするのは事件といってもいい。この仕事を始めたばかりの頃、大垣南は市内で最も人気を集める高校で、当時の感覚ならば、今年も35人「しか」オーバーしていないという状態だっただろう。それくらい、かつては人気があった。今年の人気回復は一時的なものか、それとも今後につながるものなのかは分からないが、大垣南にも頑張って欲しいと思う。
 それにしても花粉がきついようだ。私は杉や檜の花粉には反応しない体質(逆に言うと他の何かの花粉に反応してしまう体質)なのだが、今日に限ってはややむずむずする。相当飛んでいるのだろう。
 
 西高へ。今年、この塾から西高を受けた者はいない。何年ぶりだろう。いなくても見に行く。地元の高校だ。来年は誰か受けるだろう。車を降りて発表の現場へ。部活への勧誘をするため新入生たちを出待ちしている在校生たちの間をすり抜けて、発表の掲示を確認に行く。掲示を正面にした状態で右斜め上を見上げると、2階の渡り廊下では吹奏楽部が演奏をしている。見慣れた光景だ。去年もこんな時間に見に来ただろうか。そんなことを思いながら引き上げようとしたら、卒業生と会う。部活のチラシを見せてくれた。元気にやっているようで結構なことだ。何より、以前は見せなかったような、ひじょうに明るい顔をしている。それが嬉しい。合格発表を見て回っていると、こんなこともあるのだ。
 
 ここまで来たら賢明な読者はお分かりだろうが、私は市内を時計回りに回っている。時計回りで行ったら次は賢学塾に戻る、になるのだが、そうではなくて再びの北高だ。北高、さっきは発表の瞬間で大勢の受験生や保護者の方がいて、番号をじっくり眺めることなどできない状態だった。もう一度行き、しっかりと目に焼き付けてくる。
 時計はもう10時半をまわっていた。ここもまた、さっきとは打って変わって静かだ。物販の業者さんがやや忙しそうにしている以外、外では人の動きもほとんどない。番号を入念に確かめる。当たり前だが、何度見ても番号は確かにある。
 ほぼ1年ぶりにやってきた母校。つまり前回やってきたのは去年の合格発表の日である。以前のように出願状況をいちいち見に来ることがなくなって、ここに来るのも1年に1回の行事となった。いつ来ても思わず見てしまうのは、今はもう駐車場になってしまって跡形もない、校地東南隅のかつての弓道場跡(現在の弓道場は、かつて第二体育館のステージがあったあたりにある。そこには弓道部男子の部室もあったのだった)。弓はどこに行ったかな。引っ越したときに、捨ててしまったかもしれない。だいたい、弓を引く「型」を本人が忘れている。今やってみてといわれてもできないだろう。それでも、ここに来ると何となくそっちを見てしまうのだから、面白いものだ。
 
 さて、北高を出たら次は大垣商業だ。ここも今年は誰も受けていない。が、来年は受ける生徒もいるだろう(たぶん)。着いた頃には午前11時を過ぎていた。説明やら購入やら、いろいろなことが終わり、帰る人も出始める時間である。ここでも在校生による新入生の勧誘が行われていた。昇降口の前で、昨年卒業した飛悠君(仮名)がいたので声をかけておく。彼は驚いていたようだが、1年前とあまり変わらない姿に安堵。元気で何より。
 これにて、合格発表をのんびりと見て回る会も終わり。本当は岐阜まで走ろうかと思ったが、時間的なことを考えて諦め、お昼前には塾に戻る。
 
 戻ったら、早速作業だ。いや、その前に昼食を、というわけで昼食をとる。午後からは掲示を張り替えたり、後回しになっていた新年度に向けた作業をしなければならない。
 例年、合格発表の日は授業を入れていない。わざわざ来訪される方をがっかりさせてはいけないし、結果によっては自分自身まともに授業できる自信がないからだ。今日、もし授業を入れていればノリノリで授業ができたに違いないが、それは結果論である。改めて彼ら第21期生に感謝しながら、全員合格おめでとうの掲示や、ホームページ掲載用の画像やら文言やらを作る。
 
 やがて、一通りの作業を終える。その間の来訪は1件。続く来訪もなさそうだから、今日はもう帰るかなと思った矢先の午後4時をまわったあたりから、続々と合格者のみなさんがやってくる。来訪が重なってしまって、あまりお話をすることができなかった方がいらしたのは残念だが、それ以外の方々とは、上がってもらってお話をする。
 聞けば、ある生徒は入試の日に堂々の遅刻(ただし、高校側の正式な集合時刻でなく、中学校側の指定した集合時刻に、であるのだが)をしていたという。知らなかったので素直に驚く。そういえば入試の日、東高でそういう生徒を見たようなことを先日書いたが、まさか別の高校でウチの生徒が同じことをしていたとは思わなかった。私があの日、現地にいてその事態に遭遇していたら、きっとハラハラしていたことだろう。そういう意味では、応援に行く高校の選択は正解だったのか!?
 また、別の生徒とは写真を撮った。先日、入試の日に使った幟がそこにあったので(といっても彼女の高校には応援に行けなかったのだが)、その幟を片手に2人で写真に収まる。春からは部活の朝練のために朝5時台に家を出るそうだ。私にはとてもできそうにない生活。頑張って欲しい。
 いろいろ話していると、さっそく点数開示に行ってくるという生徒もいる。今年の生徒たちは最後まで勉強やテストに対する関心が高い。その意気で次のステージも頑張って欲しい。
 
 夜には丁寧なお礼のメールもいただいたので、お返事を書いておく(のだが、その時点では既に相当いい気分で酔っていたので、まともな文章になっていたのか自信がない)。自分にとって、今日は正月のようなものだ。今日のように全員合格で迎える正月は格別だ。この第21期生には最後の最後まで助けてもらった。本当にいい子たちだった。彼らが受験生なら、何回入試を迎えてもいいかもしれない…と、ようやく受験生の立場から解放された彼らが聞いたらひっくり返りそうなことを思ったりもする。
 
 昨年春は「第20期生ロス」に悩まされそうになったが、今年は「第21期生ロス」に悩まされそうな勢いである。そんなことを言い出すと、「第19期生ロス」だってあったような、なかったような…とはいえ、私の基本姿勢は「前を向く。振り返らない」。そうやって生きてきた(からあまり年を重ねた感じがしないし、逆に言えば成長もしていないのかもしれないが)。卒業してしまえば、彼らとは知り合い、友達のようなものであって、彼らに先生面をするつもりもない。彼らにとっても、この塾での思い出などすっかり色褪せてしまうくらい、次の生活が充実していたほうが幸せだろう。
 
 第22期生とともに歩む1年は、もう始まっている。今宵だけ、彼らとの思い出に浸り、また明日から前を向いて歩いて行くとしよう。そう思いながら床に就いたのだった。