朝6時半に起床。
最低限の身支度を調え、
6時50分頃、家を出る。
朝日が眩しい。
懸念された天気だが、
雪も雨も全く心配ない空。
ただし、寒い。
ラジオのアナウンサーが
「岐阜では氷点下になった」と
落ち着いた口調で伝える。
ただし、この時間のラジオは
「最低気温」とは言わない。
まだ「最低気温」が
公式に出ていないのだ。
通勤の車列の中を
愛車とともに進む。
考えてみれば慣れない行動だ。
よくよく観察すると、
受験生を乗せていると
思われる車もある。
いや、ただの通学かもしれない。
しかし、公立高校の授業は、
今日はない。
やはり、受験生だろう。
7時5分頃、
市役所そばの市営駐車場に着く。
そこから歩くのだ。
以前使っていた駐車場は
だいぶん前に閉鎖されており、
今はそこを使っている。
やや遠いが、仕方が無い。
西部中の先生が指示した
現地集合時刻は
去年と同じ午前7時半だ。
気の早い、あるいは慎重派の生徒は
もう着いているかもしれない。
昨日、彼らには
「あまり早く行かなくてよい」と
言っておいた。
集合時刻の少し前でよいと。
あまり早く行っても、
建物の中には入れない。
外で待たされることになる。
この寒い中、
外で何十分も立って待つのは
あまり得策ではない。
中学校の先生は、
万が一に備えて
公式の集合時刻のかなり前に
皆を集めることにしているのだ。
余裕を持たせてある上に
さらに余裕を重ねる必要は無いよと。
歩く。
ひたすら歩く。
左手に持った手製の旗は、
数年前に作ったものの使い回し。
開校時から、紙で旗を作っては
ぼろぼろになるたびに
作り直している。
来年こそは
ちゃんとした幟か旗を
業者に頼んで作ろうかなと思うが
この塾の旗としては
これがふさわしいのかなとも思う。
かつて一世を風靡したゆるキャラの
「やなな」みたいなもので
かえって個性が際だって
よいかもしれない。
それにしても寒い。
早足で歩いているうちに
体は熱くなってきたが
手に空気の冷たさが凍みる。
手袋を持ってくるべきだったと
思った頃には後の祭りであった。
今から車に戻っていては
彼ら全員が学校の敷地の中に
入ってしまってから
門の前に登場するという
間抜けを演じてしまう。
我慢して進む。
大通りを東に進み、
やがて高校に入る小径の交差点に
差しかかる。
右に折れ、南に直進すれば
あと少しでカーナビがいうところの
目的地に到着しました、
案内を終了しますといった感じだ。
今はもちろん歩いているから
脳内でカーナビの音声を
再生してみただけだが。
そんなことを考えながら
前進していると、
横に止まる車の窓が突然開く。
見慣れた車、
そして見覚えのある方のお姿。
塾生のお母様であった。
本日、この高校を受ける子の
お母様である。
手短に挨拶をして過ぎる。
ここでお目にかかるということは
彼はもう現地に到着し
敷地内に入ってしまったということだ。
あと5分、早ければ。
7時15分を過ぎて、門前に到着。
想定していたのよりやや遅い。
自分の中では遅刻だ。
さっきの一台で
既に一人逃してしまったことは確定。
ひょっとしたら彼以外の塾生も
もう着いているかもしれない。
彼らが指示された「集合場所」は
体育館に近い奥であるから
学校の敷地に入ってからでは
よほどの大声でも出さない限り
声のかけようもない。
もし全員がもう到着済みなら…と
心配しながら門前に立つ。
門前には、受検生に対して
配りものをする業者の人、
そして数人の同業者と思しき人が
既に陣取っている。
私は敷地の中と外の両方を
見渡せる位置に立って
彼らの到着を待つ。
思えば東高に来るのは
3年ぶりだろうか。
3年前は「集合時刻」が
今年よりも遅かったはずである。
だから早めに着いて
一番乗りに近い受検生から
最終に近い受検生まで、
その流れのすべてを
見ていた記憶がある。
その後、西部中が
集合時刻を早めたのは
何か訳があったのかもしれない。
いずれにしろ、
全中学校で一番乗りではないかと
想像していたが
他の中学校も早いところは
結構早いようで
もういくつかの中学校の生徒たちが
かなり集まっている。
確かに市外など遠方の中学校は
早めに集合しないと
余裕が生まれず
万が一に備えるという意味が
なくなってしまう。
ということは
西部中も市外と同じなのか。
ところが
校区内にある「ご近所」西高でも
7時半集合にしているというのだから
集合時刻がかなり早いのは
やはり別なところに
理由がありそうである。
ところで、この門前での応援、
この付近の学校で
一番やりやすいのは南高。
この塾ができた頃は
受検生の進入ルートが今とは異なり
やりにくい高校の一つであったが、
今のルートになり、
例外なくほぼ全員が
川沿いの桜並木の小径を南下して
西側から学校に入るようになってからは
一番やりやすい高校になった。
実は今年も南高へ…ということも
少し考えたのだが
市内の普通科4校の倍率を眺め
いろいろ考えた末、
東高に行かなくてはならないだろう
という結論に落ち着いたのだった。
ちなみに北高の現地応援は
最近あまり行っていない。
せっかく高校側が
受験生を送ってくる車を
敷地内で上手に捌こうとしているのに
それを邪魔するようなことは
あまりしたくないというのがある。
来年以降、倍率次第では
また行くこともあるかもしれないが
高校側はもちろん、受検生にも
あまり邪魔にならないようにしたい。
そういえば、西高の応援には
前職の時代も含め
一度も行ったことがない。
行きたくないわけでなく、
そういう機会に
恵まれなかっただけだ。
今年は西高受検者も多いので
応援しがいのある年のはずだが
倍率が高くない。
比較の結果、
東高にということになった。
来年以降は分からない。
閑話休題。
東高の正門前だ。
昔と違い、
近隣の通行に対する
受検生への指示が
徹底されているのだろう。
門前の道路には
さして大きな混乱も見られない。
行きの道路で
お母様とすれ違うことになった
一人の男子を除き、
西部中から受検する塾生たちは
門前に立って数分後から次々と現れ、
7時半までに無事全員に
声をかけることができた。
冷たい風にあたって歩いてくるので
表情はやや硬いが
会話をすると笑顔が見られる子もいる。
健康状態に問題はなさそうだ。
睡眠時間もちゃんと確保したと
言ってくれるのだが、
これについては終わった後で
「実は…」と言ってくる子もいるので
何とも言えない。
ただ、元気にこうしてやってきている、
そのことが確認できただけでも収穫だ。
他の中学校の集合時刻はもう少し先。
まだ会えてない塾生たちは
しばらく来ないだろうと思って
周りを観察していると
いつの間にか同業者が増えている。
門を挟んで反対の北側を見やると
受検生の応援に来ているのかどうか
疑わしい行動をとっている人たちもいて
やや、いやかなりがっかりする。
そんなことが目についてしまうのは
自分が老いただけかもしれない。
この塾を開いて20年。
前職もあわせたら
もう四半世紀以上、
高校入試の風景を見てきたのだ。
若くないことは自覚している。
いずれにしろ、
よそのことなので放っておく。
今年の門前、
気がつくと高校の先生は
門の中に引っ込んで
敷地内の交通整理しかしていないので
門の南側に立っていた私は
受検生の後ろから車が来るのに気づけば
左に寄るよう指示したり
反対側からこっちに向かって
横断しようとする生徒たちを
手助けしたり
何をしに来たのか
よく分からないことをしている。
第2波の生徒たちが来るまで
ぼーっと立っているだけでは何なので
ついでのおまけに余計なことを
してしまうのだった。
誰にも感謝されてはいないだろうが。
7時50分過ぎ、
最後の2人が現れる。
どこで落ち合ったのか、
それとも偶然一緒になったのか、
2人そろって南から歩いてくる。
向こうが先に私を見つけた模様。
声をかけて送り出す。
元気そうだったので安心する。
これで私の任務は完了である。
彼女たちの歩いて行く先を見やると
ようやく開いた体育館に
上がっていく受検生の列が見える。
大きく旗を振ってみる。
気づいた生徒はいただろうか。
(たぶんいないだろう)
全員の出席を確認できたのだろう、
中学校の先生も続々と帰り始める。
振り返って道路に目を移すと、
新たにやってくる受検生も
ほとんどいなくなった。
そろそろ潮時かな、と
私も午前8時には現地を離脱。
本当は午前8時20分近くまで
現地にいたかったのだが
(これについては以前書いた記事参照)
夕べからの流れで
体力的な余裕がほとんど無いため
今年は遠慮しておくことに。
帰り際、
地元の南小学校に登校する
児童たちを見守る年配の男性に
「大変だねえ」と
声をかけられ、
「今日は入試なもんで」
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
などと軽く言葉を交わしつつ、
元来た道を歩いて帰ったのだった。
(続く)