2016年3月16日を終えて

 午前5時55分頃起床。夕べは早く寝たので目覚めはよかった。朝食をとり、PCに向かって少々の仕事をこなし、身支度をして家を出る。午前8時50分過ぎには北高に到着した。今日は北高から東→南→西と時計回りに巡回する予定。今年はこの4校に塾内の受験者が集中している。数年ぶりに受験者全員が普通科志望になった(一つ前の記事でも書いたが、塾としては専門学科志望も大歓迎である)。しかし、(受験者はいなくても)商業ほか複数の高校の合格掲示は、合格発表日のルーティンとして見に行くつもりでいた。塾生全員が無事に合格していれば、という仮定付きで。
 北高の合格掲示は「ピロティ」とかいう小洒落た名前のついた、要するに管理棟と教室棟の間をつなぐ吹きさらしの空間に、大きな掲示板が置かれる方式だ。ずっと昔は同じ空間の反対側、教室棟の昇降口あたりのガラスに内側から紙を貼り付ける方法のときもあったと記憶しているが、だいぶん前から今の方式が定着している。掲示板方式か、窓ガラスその他に内側から貼り付ける形式かは各高校いろいろで、どちらかというと窓ガラスに内側から貼り付ける(このあたりでは昔から見られる)形式の高校のほうが多いように思うが、北や商業は、掲示板方式を採用している。掲示板方式のほうが「合格発表らしい」感じはある。
 さて、その掲示がなされる場所に向かう途中、合格発表を待つ受験生その他の群衆を横目に、少し離れたところを笑顔で歩いて行く野球部員たちの一団を見かける。1年前あるいは2年前の自分のことを思い起こし、懐かしく思い出していたのかもしれない。と、その中に、昨年この高校に進学した卒業生を発見したので、やや近寄りながら手を挙げて声をかけた。彼は賢学塾に通っていたときと全く変わらない満面の笑顔で私に挨拶してくれたが、それが私という人間を認識してのものなのか、それとも、よく分からないが少し離れたところからおっさんが手を挙げて声をかけているから、とりあえず挨拶しておいたのかは、ついぞ分からずじまいだった(彼はいつも誰に対しても分け隔てなく素敵な笑顔で挨拶をするから区別がつかないのである)。その場に居合わせた他の野球部員のみなさんにも次々と挨拶され(もちろん彼らは私のことなど知らないだろう。夏に応援に行ったときはよろしく)、それに応えつつ発表現場へと方向を変える。
 午前9時。掲示板を覆っていた黒いものが取り外されて番号が見える状態になる。今年の赤坂中は北高の出願順で先頭をとったそうで、一桁の番号からのスタートである。この塾から北高を受験した赤坂中の生徒たちも一桁の番号だった。つまりは一番左端に並んでいるはず。そういう意味ではわかりやすい。他方、西部中の生徒たちは3桁の番号である。人だかりの後方から、左端そして真ん中付近と、交互に目をやって、隙間を見つけては何とか番号を確認しようとする。次の瞬間、一人の生徒の受検番号の次の番号が一番上の段に見えた。つまりは彼が合格していれば、その前の列の一番下の段に番号があるということになる。今思うと、これが今日、最も緊張した瞬間だったかもしれない。次の番号は見えるのに、肝心の番号が見えないという状態。なんとか背伸びして、その「前列の一番下」というところをどうにか見ようとするが、なかなか見えてこない。かといって、受験生本人や保護者でもないのに、人をかき分けて前列まで行くなんてことも図々しくて出来ないので、しばらく背伸びしたり跳んだりしていたら、そのうちに下のほうまで番号がちらっと見えてなんとか確認。やれやれと振り返ったら、そこにその一番下に受検番号が載っていた本人が立っていた。その後、現地にいる生徒たちからも次々と電話が来て(周りの歓声で声が聞こえないとか、つながっても会話が出来ないとかして歩き回っている間に、本人たちが目の前に現れ)、実際に会うこともでき、まずは北高で、全員合格を確認した。
 彼らと彼らのお母様方に一通りの挨拶を済ませたら、次の目的地に向かって出発する。歩きながら、電話が次々に入る。今年も「出来たらお電話をくださると助かります」と塾生には伝えてある。今日は賢学塾全職員の総動員態勢(!)で合格発表の確認に回るわけだが、当然ながら圧倒的に人手が足りない。もちろん「必ず連絡しろ」と強制するわけにもいかないが、連絡がもらえたらこちらも早く安心できるし、万が一のことがあったとき、(合格の報をもらった子たちの確認作業はひとまずおいて)その塾生のところへすぐに向かうことも出来る。今日も次々と電話連絡をもらったおかげで、南と西は見に行く前に全員の合格を確認(その後、静かになってから、順に見て回った)。しかし、東だけは全員の結果が把握できないままだった。結局、最後まで1人から電話連絡がなく「回線が込んでいて電話が通じなかったかな(一度に電話が殺到する合格発表のときはよくある。携帯会社も電波のやりくりが大変だろう)」とか「喜びを分かち合ったり家族と連絡を取ったりするのに忙しくて、塾に電話するどころではなかったかな」とか「あるいは・・・いやまさか・・・しかしひょっとして・・・」など様々な思いが頭をよぎる中、東高に着いたのは9時半近くだっただろうか。
 昇降口の横、コーンで仕切られた細い隙間を抜けて中庭へ(工事中のため、中庭へ通じる道が狭い)。そして番号を確認する。あった。連絡をくれた子たちの番号も、連絡が来なかった子の番号も、すべてあった。これで塾生全員の合格が確認できた。ほっとしていると、後ろから聞き慣れた声がする。振り返れば奴がいる、というドラマが何年前だったのかはもう忘れたが、振り返れば彼がいたという、まさにそんな感じの現場で、その場でおめでとうと言うことが出来た。彼は私のほんの少し後に現地に到着したのだった。午前9時ちょうどに合わせて見に来るのもいいが、こうしてすっかり人が消えた静かな場所で迎える喜びの瞬間というのもまたよい(ただし、受験者本人の到着があまり遅いと合格者説明会(高校によって違うが、9:30~10:00に始めるところが多い)に間に合わないという事態になるので注意が必要)。近くでは番号を指しながら写真を撮っている別の親子もいた。
 東高を出て、南高→西高と巡る。南も西も、合格者説明会が始まっていて、一部の在校生や業者の皆さんのほかは人影もあまりなく閑散としていた。番号が確かにそこに掲載されていることを改めて確認して、塾に戻る。その後、再び北高に行き、さっきとは打って変わってひっそりと静まりかえった合格者掲示場所で改めて番号をこの目に焼き付け、その後、塾生の受験校ではない数校を回って引き返す。
 昼食後、再び塾を開ける。まずは外の掲示を張り替える。通りかかった卒業生や保護者の方が気にしているという話を聞いたこともある。めでたいことは掲示しておかなければならない。こうした掲示が出来るのも、彼ら第19期生たちのおかげ。高校入試というものは、何が起こるか分からない。「この塾は不合格者を出さない」などという傲岸な物言いは、私にはとてもできない。今年は事なきを得たが、この仕事を続ける限り、ずっと向き合っていかないといけない問題だと思っている。今年、全員の合格を見届けることができたのは、もちろん彼らのおかげであり、仮にもし不合格の生徒が出ていたら、それは私の責任だった。思えば3/9を終えてからの1週間、私の心の中は反省だらけだった。まだまだやれることがたくさんあったはずだ。あれをやっておけば、これをやっておけば、もっと力になれたはずなのに、そんな思いばかりだった。それらの反省はもちろん、来年度以降に生かすべく動き始めているが、彼ら第19期生の指導に生かすことはもう出来ない。しかし、彼らのおかげで、私はまた、前だけを向いて仕事をしていくエネルギーをもらったのだった。本当に感謝している。
 さて、掲示の張り替えを終えてしばらくしていると、合格した生徒たちとそのお母様方が次々とお越しになり、一人ぽつんと静かに佇んでいた塾の空気が一変する。しばしの歓談。その後、後から来た一人の塾生のお母様から「この子と一緒に写真を撮らせてほしい」というご要望を承り、ではウチもウチもと急遽「写真撮影会」のようなものに。正直なところ、私は写真が苦手で自分の写真など滅多に撮らないので焦ってしまったが、こんな被写体でよければお安い御用である。(夜になって、勿体ないお言葉とともに写真を送っていただいた。案の定、顔が何かぎこちなくて上手く写っていないが、元が元だけに高望みをしても仕方がないのは言うまでもない。)
 合格発表を終えたからには、彼らも次のステージへと歩み出さなくてはならない。今は北高も東高も、今日購入した教科書類を宅配便で送ってくれるそうだが、東高の場合は春休みの宿題の分だけ別にしてその場でお持ち帰りという細かい気配り(?)によって、今日から早速、宿題に取りかかれるそうだ。北高はずいぶん前から宅配便(たぶん、この地方で最も早く教科書類の宅配便配達を取り入れたと思う)だったが、相変わらず宿題もその中に入っているため、とりかかるのは週明けぐらいからになりそうとのこと。いずれにしろ、進学校の競争は春休みから始まっている。遠い遠い昔のある北高合格者は、春休みにさぼっていたために、入学後、いきなり修羅場を迎えてしまう。この塾で学習を積み重ねた彼らならば、そんな間抜けな高校生になるはずはあるまいと、今後に期待しつつ、笑顔で見送ったのだった。
 家に帰って美酒に酔う。入試が終わってから、お休みをいただいた日もあったが、今日を終えてようやく本当の休みが取れるという感じだ。来週からはもう新しい戦いが始まる。昨日も書いたように、新中3生たちは、なかなかにambitiousだ。この1週間、次から次へと頭の中に湧いてきた様々な反省点と改善点を、次の受験生たちに生かしていきたい。