2012年春卒業、賢学塾第15期生も
最後は全員合格で締めくくることが出来ました。
これはまずもってすばらしいことです。
振り返れば7年連続の全員合格フィニッシュ。
卒業生たちは本当によく戦ってくれたと思います。
改めて感謝いたします。
昨日の午後、早速、2階の窓に掲示しました。
これを見て今年の我が塾の無事成功を確認するという
卒業生もいるという話を以前聞きましたので
この作業は欠かせません。
昨日は午前9時の発表に間に合うよう、家を出て
北高に着いたのはおよそ5分前。
例年、北高は昇降口のドアのガラスに
一般選抜合格者の受検番号を掲示する。
(高校側にはいろいろなご都合があるとは思いますが、考えてみればかなり失礼な掲示の仕方だと私は思います。昇降口は生徒が日常使う出入り口であって、正面玄関ではありません。言ってみれば高校の勝手口のようなもの。その「勝手口」の扉に大事な掲示を貼っているわけです。まあ、雨の日でも屋根の下になって容易に掲示が見られるという便利さを優先したものだと思いますから、そこまで目くじらを立ててあれこれ言うことでは無いんだと思いますが、個人的にはやや釈然としないものを感じるのです。)
読んで字のごとく
生徒たちの日常の出入り口である昇降口は、
正門側から見て手前の正面玄関がある「管理棟」ではなく、
その奧に横向きに建つ教室棟のほぼ中央、
ちょうど管理棟との間にある。
そして、その2つの校舎の間の部分は
大きな屋根で覆われており、
例年だとそこにまず人が集まっている。
そして、後から来たためにそこに近づけない人、
あるいは先に来た人たちをかき分けてまで
そこへ近づいていこうとはしない控えめな人たちが
東側の中庭を中心にかたまりをつくって待っているというのが
今までのイメージだった。
ところが今年は違った。
その屋根の下の部分、
つまり掲示場所の正面に当たる部分に
受験生も保護者もほとんどいない。
いや、全くいないと言っていい状態だった。
顔を見たことがある同業者が何人かと
発表の瞬間を撮影しようと待ち構える
(高校に委託されたのであろう)カメラを持った業者が
数名いる程度なのだ。
ほとんどの受験生と保護者は
管理棟の東側からさらに東の中庭にかけて、
つまり、掲示場所から遠く離れたところにいる。
例年もそこに人はいるが、
今年はそこにしか人がいないのだ。
これは驚いた。
確かに、初めから掲示場所のど真ん前で
たくさんの人が待っているということはあまりない。
しかし、普通はそこから少し離れたところを起点に
遠巻きにして待っている感じなのに
今年は9時ぎりぎりになっても
掲示場所に誰も近づこうとしない。
みんな見たくないのだろうか。
あるいは最初に来た人たちが
近くに歩み寄っていかなかったから
それ以後にやってきた人たちも
そこからさらに遠巻きになってしまったのか。
知り合いを見つけやすいように
あまり中には入っていかなかったのか。
まさかとは思うが、
高校側から遠くで待機していろという
指示でも出ていたのだろうか。
だったとしたら
自分は間違ったところに立っていることになるが
そんな話は聞かないし、お咎めもなかった。
どういうことだろう。
怖い、というのはあったかもしれない。
見たいが、見たくないという微妙な距離感が
そういう立ち位置にさせたのかもしれない。
何と言っても、192人受けて30人が落ちてしまう入試である。
高校入試としては厳しいものであることは間違いない。
そんなことをあれこれ思いつつ、
発表までのわずかな時間の自分の居場所を探す。
受験生でもない自分が
受験生を押しのけて前に突き進むというのは
いくら厚顔無恥な私でも気が引けるが、
掲示されれば、やはり早めに見たい。
困った挙げ句、結局いつものように
掲示場所の正面のやや離れたところ、
つまり管理棟側に近いところに立って、
そのときを待った。
ほどなくして、昇降口のドアの向こう、
下駄箱が林立する間から
掲示をする職員の方たちの姿がちらほら見え始める。
しかし、まだほとんど人が動かない(苦笑)。
これ、このままどうなるんだろう、と思っていたら、
9時になり、紙が貼られ始めた途端、人が一斉に移動した。
ものすごい勢いで大移動が始まった。
すぐに歓声が聞こえ始める。
これがまさに「発表の瞬間」だ。
その模様を今年は試しに動画で撮影・・・・と思ったら「部外者の撮影はご遠慮ください」との掲示が。プライバシーに配慮せよとの高校からのお達しだ。確かにそれはそうだ。だから残念だがその模様はここに示せないが、この文章から雰囲気を感じとっていただきたい。
で、ともかくも、合格者の番号が
私の目の前から少し離れたところにある。
ウチの塾生の番号はみな若い。
西部中学校は出願が早かったのだ。
だから私はそれほど近寄ることもなく
割とすぐに塾生たちの番号を確認することができた。
私がそんなふうに遠目で番号を見届けるやいなや、
塾生の一人とそのお母様が目の前を右から左に急ぎ足で通過。
掲示のほうへと一目散に向かっている。
やはりすぐ番号を確認できたようだ。
その様子を見計らって後ろから声をかける。
本当によかった。嬉しそうだ。
その場で本人と握手して軽く歓談・・・と思ったら
彼の右手には堅い棒きれがくっついている。
入試後の解放感あふれる楽しい日々を過ごす中で、
小指を剥離骨折してしまったそうだ。
最後までエピソードに事欠かない第15期生である。
来年からの雑談のネタがまた一つ増えた(笑)。
その後、別の塾生やその保護者様とも合流。
「いやーウチの子、案の定、試験ができなくて」
「えっ、そうなの?」
「あ、はい、社会がちょっと・・・」
そんな話は聞いてなかったが、
聞いてなくて私はよかったのかもしれない(笑)。
ともかくも嬉しい。春が来たのだ。
塾生たちの合格を見届け、
塾生や保護者様ともお話が出来た私は
そこでお暇することにした。
引き揚げる前に、
全体の合格掲示を改めてチェックし、
「帰国生選抜」の結果も確認。
歓喜の声がこだまする華やかな雰囲気の中、
足取りも軽やかに南に向かって歩き出した。
行きは人混みを避けるため
人のいない管理棟の西側から掲示場所に回り込んだが
帰りは管理棟東側に沿って正門に向かって歩いていく。
その途中、おそらく不合格だったのだろう、
肩を落として車に向かう生徒数名と
その保護者の方々を見た。
塾生とかそうでないとか関係なく
こういう姿を見るのはとてもつらい。
過去、午前9時の合格発表に立ち会った中で
何度も見てきた光景であるが、
何度見ても、つらいものはやはりつらい。
何かできないものかという衝動に駆られるが
赤の他人の私には、声をかけることすら出来ない。
何とももどかしい。
これは先日のこれを読まないと分からない話だが、
「あなたは13日、関ヶ原で合流できたと思ったのもつかの間、
米原で東海道線の下り列車を乗り継げず、
北陸線に入ってしまったような感じかもしれない。
今は「自分の行きたい方向とは違う」という思いでいっぱいだろう。
まっすぐ西に進む子たちが羨ましく思えても、仕方がない。
しかし線路は分かれてもまた合流する。
北陸線に入ってしまっても、琵琶湖をぐるりと回れば
湖西線経由で京都にちゃんと行けるのだ。
今日のこの分かれ道は永遠の分岐点でも何でもない。
3年後はすぐにやってくる。7年後だってあっという間だ。
3年後というのは(この話で言えば)
さしずめ『京都』ということになるだろうが
その『京都』だって、魅力的な場所ではあるが、
あなたにとっても、また今日合格した子たちにとっても
終着駅でも何でもない。途中停車駅の一つに過ぎないのだ。
旅はその先もまだまだ続く。地の果てまで続いていく。
この先、大事なことは前を向いて生きていくこと。
これから進むルートは、あなたが昨日の晩まで、
いやついさっきまで思い描いていた路線ではないだろうけど、
今からもう一度時刻表を見直して、
まずは『京都』、つまり3年後を目指してみよう。
湖西線経由だっていいじゃないか。
湖西線からは琵琶湖も眺められる。
東海道線をそのまま何も考えず進んでいく子とは
全く違った景色を見ることが出来る。違った発見も出来る。
『京都』でまた彼らと会うそのときまでに
いろんな発見、たくさんしておこうじゃないか。
人生はこの先も、乗り換え、乗り継ぎ、待ち合わせの連続だ。
大回りして乗り換えで苦労した経験が、
その先の乗り継ぎで生きてくることだってある。
米原で階段の上り下りもせず、反対側のホームで待つ新快速に
すぐに乗り換えたような子たちには
決して分からなかっただろうことが
あなたにはたくさん分かってくるはずだ。
これからの3年間は、そんな可能性を秘めた旅。
今日いきなりそんなことを言われても
たぶん訳が分からないだろうけど、その意味はいつか分かる。
今はつらいだろうが、立ち上がって、前を向いてほしい。」と
まさか見ず知らずの男がいきなり声をかけて
そんなことをたらたらとしゃべり出すわけにもいかないから
ここに書くしかないのだが、
これは心からそう思う。
公立高校入試は、一定点数以上なら
志願者全員を受け入れるという仕組みではない。
定員という枠があらかじめ決まっている。
たとえ志願者全員がすばらしい努力を重ね、
その結果全員がすばらしい能力を備えていたとしても
希望者の数が用意された枠を越えていれば
必ず枠から外れてしまう人が出るシステムだ。
幸いにして我が塾生たちは全員、努力が報われた。
それは大変嬉しいことだが
今日、肩を落として帰って行った子たちも
3年後、7年後、いやその先に
自分の能力を磨いて活躍していることを切に願う。
そのためには、まず4月からの高校生活を
前向きに元気に過ごしてほしい。
10代という、人生における貴重な時期を、
後ろを向いて過ごすことがないよう、心から祈る。
また、幸いにも全員合格したウチの塾生たちも
自分たちの歓喜の裏でそういう現実があったことは
忘れずに心に留めて
これからの3年間を過ごしてほしい。
過去を引きずる者に未来の祝福はない。
昨日、残念だった子も歓喜した子たちも、
終わったことは早めにさっさと置いていかなくてはならない。
繰り返すが、合格した子たちも、それは同じだ。
さて、だいぶん話が逸れてしまったが
元に戻そう。
今年の一般選抜、我が塾に関係するのは、
残すところ東高と南高だけだ。
例年なら慌ててすぐに移動するところなのだが、
ご存じの通り両校とも定員割れであったため、
見に行かず連絡を待つことにしようかなと
思案しつつ、とりあえず先に塾に向かう。
するとその移動中、
東高を受験した生徒から連絡が入った。
本当にありがとう。
ところが塾に戻った後も、
南高を受けた塾生からは連絡がない。
時計を見たら既に10時をまわっている。
高校で合格者に対する説明が始まっている時間だから
この先待っていても昼までは連絡が入ることはないだろう。
そこで、(念のため)南高に確認に向かうことにした。
南高には西門から入る。
浅中公園の野球場を横に眺めつつ
(あの野球場、両翼とセンターあんなに広かったんだな。初めて知った。)
江西排水路(江西川)という川沿いを歩いて
校地に入っていくルートだ。
(この川の名前は子どもの頃から知っている。何せ私は2度の転校の末、この地区の小学校(江東小学校)を卒業したからだ。江東小学校は「江西排水路」の東側に校区が広がっているからという理由で「江東」と名付けられたと子どもの頃に教わった。あれは本当だったのだろうか。単純すぎる。ちなみに、江東小+川並小=江並中という中学校名になっている。これもまた単純な話だ。同じく後からできた星和中は歴史的文化的背景も加味したネーミングだというのに。)
門をくぐると、南高の在校生たちが大勢うろうろしていた。
説明などの用事を済ませて出てくる新入生を
自分の部に勧誘すべく、待機していたのだ。
そんな和やかな雰囲気の高校生たちの間を
一人すたすたと歩いて通り抜け、
掲示場所になっている「南風館」へ。
・・・番号を確かめる。
塾生の番号は、間違いなくあった。
掲示の末尾に「以上126名」とあるから、
受験者全員合格である。
(北高は末尾に何名合格か書いてなかった気がする。書こうよ(笑)。)
「やれやれ、そりゃそうだよな」と、ややほっとしながら
西門の方へと引き返しかけたところで
向こうからこちらに走ってくる南高生女子が一人。
私の背後にその子の友達でもいるのかなと
(実際、合格者番号の掲示を見ながらはしゃいでいた在校生たちがいた(笑))
一瞬、振り返りそうになったのだが、
どうやら私に用事のようである。
「いやいや、こう見えても私は新入生じゃないので
どこの部にも入れませんから」などという
言い訳を考える暇もなく(もちろん冗談である)
彼女が誰だかすぐに分かった。
2年前の卒業生のOさんである。
少しだけ歓談。
元気そうで楽しげに高校生活を送っていることが
様子からすぐに分かり、安心した。
以前よりも明るくなっただろうか。
まあ受験を前にして苦しみもがいていたときと比べて
明るいのは当たり前か。ともかく元気そうで何よりだ。
それですっかり満足してしまい、
西門を出て再び川沿いを歩き始めるまで、
勉強のほうの調子はどうだ?と聞くのを忘れたことに
思い至らなかったが、
まあ真面目な子だからちゃんとやっているだろうと
一人で大きく頷きながら、
まだ咲き始める様子はない桜並木の下を
鼻歌交じりで歩いた。
気がつけば昼も近い。
一度、帰宅して食事を取ることにした。
(続く)