県庁

今日、新しい県庁になって初めて中に入ったのだが、新しい(当たり前)
  
  
  
  
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古い県庁の取り壊しはいつ始まるのか、まだそのままだった。
新旧二つの県庁を比べると大きさがだいぶん違う。
むかーしは古い県庁の中に県警本部も入っていたはずだが、独立した建物になりこちらも大きい。
  
  
  
  
  
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岐阜市薮田のあのあたりの光景も随分変わったものだ。
小学生のころ、社会見学で古いほうの県庁に入った。
一番上からの眺めが県庁の南側(多少発展し始めているような状態)と北側(全然発展していない)でずいぶん違いますねというような案内をされた記憶がある。
子どものときのことだからうっすらした記憶だ。
当時と比べたら南側も北側も随分街になってきた。
  
  
  
  
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私の親世代だと「旧県庁」といったら岐阜市司町の県庁(新しい岐阜市役所の横にある古い建物がそれだ)を言ったのだが、あれはもう旧々県庁ということになる。
今の岐阜市役所のあったところに昔は岐阜大学の医学部と医学部付属病院があったなんて若い人はもう知らないのかもしれない。
岐阜市柳戸に移転したのはもう20年近く前のことだ。
市の中心から大病院が郊外移転するというので当時は岐阜市民に不安しかなかったと思うが、もう慣れたのだろうか。
  
  
  
  
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そうそう、柳戸に今のように岐阜大学の各学部が集結する前は岐大の各学部バラバラだったのだ。
それが今や違う大学(岐阜市立岐阜薬科大学)まで柳戸に集結しているのだから時代の流れを感じる。
岐大の旧農学部(今の応用生物科学部)は各務原にあった。
今は市民公園とか学びの森とかになっているあたりだ。
各務原市はいい跡地を手に入れた。
大学移転のおかげで市の中心に広い公園を整備できたのである。
あのあたりに今は中部学院大学のキャンパスもあるが、あそこも旧農学部の敷地だっただろうか。
大学の移転というと若いころ訪れた金沢大学の様子が記憶に残っているが、それはまた別に書こう。
  
  
  
  
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