朝刊の記事から。
「相対評価」促すような周知、全中学校の4割に 内申点巡る問題で名古屋市教育委員会が調査結果発表:中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/1059800
という話。
各評定の割合を細かく定めたら相対評価そのものだが、評定の平均についておおよその目安を示すことが「相対評価だ!」といって狩られるほどのことなのかなという気もしないでもないが、それは私の認識が不足しているだけなのか。
岐阜県教育委員会が公表している入試結果によると、公立中学での評定分布は以下の通り。
確かに相対評価のときと違って3,4,5の割合が高めではあるが、全県・全員・全教科のものとはいえ極端な評定分布にはなっていない。
そう考えると、絶対評価もある程度は相対的なものではないのかと思ってしまうのだが。
岐阜県教育委員会発表令和6年度学力検査結果『成績の概要」から。
記事には相対評価と絶対評価についての説明も載っているので改めてみておこう。
絶対評価と相対評価 相対評価は全生徒の成績分布の中から、あらかじめ定めた割合で各生徒の評定を決める。例えば5段階の5と1が各10%、4と2が各20%、3が40%など。文部科学省は2001年、分布割合を決めない絶対評価に変えるよう通知。生徒個人の学習の到達度によって成績を付ける手法で、目標の実現状況を的確に把握するためとする。
内申点は9教科の評定合計で決まり、高校入試は学力検査と内申点の合計で合否が決まる場合が多い。絶対評価は、観点別評価で(1)知識・技能(2)思考・判断・表現(3)主体的に学習に取り組む態度―をA~Cの3段階評価した上で、評定を1~5段階で行う。入試での内申点の比重は各高校で異なる。
絶対評価の評定を相対的なものである高校入試(○点以上が合格するという訳ではなく、倍率や他の出願者のレベルに左右されて定員まで合格するしくみだから相対的なものの権化)の合否決定に利用しているわけだから、絶対評価といっても相対的にもある程度偏りのない分布になっていないと不公平感が増すだろう。
県教委が中学校に評定分布を提出させているのも極端な評定になっていないか監視する目的だと思ったけど違うのかなと気になった。
この記事の流れ及び文科省の担当者のコメントからは「相対評価的なものを少しでも匂わせただけでアウト」という感じを受けるが、それは「建前」ということなのか、厳格にそうしろということなのか。
いずれにしろ、今は絶対評価で、クラスの誰かが必ず低い評価をとることになっていた相対評価の過去とは違うのだから、生徒たちには内申点のことにも留意して頑張ってほしい。
内申がない状態での果敢なチャレンジは、内申:学力検査=3:7の成績上位校でも(内申点の程度にもよるが)相当な覚悟が必要なことは(各方面からこれまでに伝わってきている)今春の入試でも改めて証明されている(それが良いことなのか悪いことなのかはまた別)。