テスト対策が始まる。
たいていの中学校は、
学習計画表の裏面にテスト範囲も刷って配っているから、
彼らがテスト範囲を塾に報告してくれるときには
その学習計画表も自然と目にすることになる。
以前も書いたと思うが、それを見るたび、
そこにある学習時間の目標と実践という欄に、
一体どういう意味があるのだろうかと、いつも疑問に思う。
ウチの塾生には折に触れて言ってきたことだが、
私が彼ら塾生たちに
「○時間以上勉強しなさい」などと言ったことは
一度もない。
この塾を開いて15年の歴史の中で、ただの一度もない。
そんなことに意味があるとはとても思えないからだ。
およそ「勉強時間」などというものは
「○時間以内に収める」という目安にはなっても
「○時間以上頑張ろう」という目標にするものではない。
これは真剣に学習と向き合ったことがある人なら
誰でも分かることではないだろうか。
今日はここまでやらねばならない、
あるいはやっておきたいと考える学習があって
それに没頭していれば
時間など勝手に過ぎていく。
ふと我に返ったとき、
時間の流れの恐ろしいばかりの早さに驚愕し、
必要以上の焦りさえ覚えてしまうこともある。
そこで、勉強に時間をかけすぎて
睡眠その他の生活に支障が出ないよう
ある程度は時計を意識して行動しないといけない。
今日は○時までにこれを片付け、
そのあと○分でこれを片付けるようにしよう。
それが真剣な学習者の「普通」の姿ではないだろうか。
もっとも、学習のプロである学校の先生が
そんなことを知らないはずはない。
学校では人数が多くて
子どもたち一人ひとりの家庭学習の様子まで
細かくチェックすることができず、
と言って把握も指導もせず放置するわけにもいかないから、
とりあえずの学習量の「ものさし」として
机に何時間向かうか,向かったかというのを
「仕方なく」使っているんだと思う。
が、たとえば家で「3時間机に向かった」のが
事実であったとしても、
ぼーっとして何をするでもなく過ごした人間や、
携帯をさわりメールやネットを気にしながら
時々ノートに字を書いていた人間、
テレビラジオ音楽を聴きながら
のんびりと教科書のページを開いていた人間から、
ずっと頭を回転させ手を動かし、最後には汗までかいて
まさにぐったりするまで全身で学習に向かっていた人間まで
その中身は実にさまざまだ。
これだけ違っては、
時間の長さなど手っ取り早い「ものさし」にすらならず、
つまりは先生や本人の「気休め」にもならないから
そんなことを書く欄は無しにしたほうがいいのではないかと
私は以前からずっと唱えている。
このことを違う角度から言えば、
「何時間勉強した」とか「何時まで勉強した」とか
そういう類の話を真顔でしているうちは
学習者として入り口の手前にいるということ。
これは卒業生や高学年の塾生なら分かることだろうけど
「気がつけば、あっという間に塾の授業は終わっていた」
集中して学ぶことに慣れてくると
それが普通になるものだ。