昨日の話の続き。
岐阜新聞テストが年5回になったという話。
この塾を開いてから二十数年ずっとスルーしている(苦笑)模試のことにあまりこだわらなくてもいいかもしれないが、12月にテストが1回増えて年5回になっていたようだ。
コロナ禍で変更になった公立高校入試日程が現在まで定着してきていて、公立高校入試の日程が以前より早まっている。
それで弊塾の年度設計も変えなくてはいけないかもしれないという話は以前書いた(公立高校入試終了とほぼ同時期に塾も「卒業」だったのが多少ずれてしまっている)。
さらにこの春からはweb出願の導入で出願変更期間と高校入試当日の間隔が空いたことで(受検生の受検料払い込みや中学校からの調査書提出が出願変更期間後になったために間隔を空ける必要が出たようだ。県教委の思惑など知る由もないが)、かつてよりも出願時期が早まり、志望校の最終決定の時期も中学校によっては早まっており、1月のテストの結果を待っていては志望校決定の参考にはならない(遅い)というところもある。
ということで12月にもテストを入れたのかもしれない。
全県模試は最終回の実施を12月~1月としているが(実施日は塾側の裁量)、岐阜新聞テストは全県統一実施という建前なので(実際には前日実施や時間変更などいろいろあるようだがこれもよく知らない。うちでやっていないから)そういうことができず、12月も1月もそれぞれやるということにしたのかもしれない。
このことに限らず、そもそも大昔とは中学校の予定の組み立ても変わっており(行事や定期テストの実施時期もずいぶん変わったし、そもそも三学期制の中学校ばかりだった大昔とは違い、今では二期制を入れている中学校も多い)、中学校に入っていた大昔と同じような回数・実施時期というのが時代に合っていなかったという面もあるだろう。
まあここまで書いたので厳しいことを言ってしまえば、これだけ岐阜新聞テストの受験者数が減って、学校に入っていた時代はもちろん、学校を追い出された当初とも全く立場が変わっているのに、悠然と商売している雰囲気があった。
皮肉にも、その態度を少し改めて、実施について塾にも協力を求める姿勢に変わってきたタイミングで塾実施のライバルが出現したために、姿勢を変えたことがかえって衰退を早めたかもしれないというのは以前書いた(だからといって姿勢を変えなくてもじんわり衰退していっただけだろうが)。
いずれにしろ、主要3模試(岐阜新聞テスト・岐阜全県模試・岐阜模試)の今後には注目している。
当分はこの3つが鼎立する状態が続くのだろうが、塾という基盤のある岐阜全県模試(全県模試の主催者である学悠出版は塾教材の業者であり多くの塾と取引している)や岐阜模試(いうまでもなく県内大手の塾が主催している。規模は他と比べると大きくないが、上位校受験者向けにかなり強い)と違って、安定地盤となる受験生を確保できない岐阜新聞テストが一番苦しい立場なのかもしれない。
かつては新聞社がついているから強いと考えられてきたのだが(他県の同じような境遇の「業者テスト」が次々と衰退・消滅していく中でも頑強だった)、その新聞業界自体が急速に斜陽となり、弊塾に開業からずっと岐阜新聞を届けてくれた新聞店さんも廃業した。
社会は急速に変化している。
岐阜県内の「高校入試向け模試戦線」がこの先どうなるか。
私も分からない。