懐かしのスター
昨日中3生の模試のことを書いたが、ちょうどタイミングよく(?)岐阜新聞テストの日だったらしい。
開校した頃(ちなみに開校したのは28年前)は「ああ、世間一般の中3生は今日、岐阜新聞テストをうけているんだなあ」と思いながら塾で授業(中3入試対策講習など)をしていたものだが、最近はそういうことも全然思わなくなった。
昨日の記事に関連して改めて日程を見に行って文頭のことを知ったぐらいのものだった。
昨年も「岐阜模試を受けに行く」という生徒は複数いて(当然その日はその子たちは塾を欠席したので振替)「ああ、今日は岐阜模試なんだ」と思うことはあったが。
もう今はないと思うが、以前はその岐阜新聞テストの「対策」をするという塾があった。
学校で進路相談の資料になっていた遠い昔ならいざ知らず、学校から排除されているのに岐阜新聞テストの対策をしてどうすると思ったものだが(この塾では28年やったことがない)、それも今や懐かしい思い出である。
これに関してはここにも昔話を何度も書いてきたが、30年以上前の高校入試界隈では入試本番以上に岐阜新聞テストのほうが重要という本末転倒状態が当たり前だったのだ(なぜそうだったのかは以前も書いたし今とは全く違う世界なのでくどくど書いても仕方がないからやめておく)。
その当時は中学校で日曜日にやっていて(事実上の全員参加)、給食もないので弁当持参でテストを受けたものだ。
大学生のアルバイトが試験監督をしに中学校にやって来ていた。
ところが答案と成績は中学校経由で返され、中学校側が成績の全体像も把握しているという、不思議な状態だった。
主催者側は運営が楽だったに違いない。
それが三十数年前に中学校から「追放」される(文部省(文科省)の号令だから全国。全国各県にあった似たような業者テストが全部対象になった)。
しばらくはその岐阜新聞テストへの信仰に近い感覚が残っていたから大多数の生徒が受けていたが、徐々に受験者数・受験率は低下。
今の姿になっている(今だけ見たらそんなテストだったなんて想像もできない)。
親御さんの世代が上記のような体験をしていた時代までは親子で伝説が伝承(?)されてその威光は何とか維持された。
が、今の中学生の保護者の中心世代は上に書いたような「追放」後の世代。
当たり前のように「みんな」受ける感覚、まして進路選択の重要資料だったなんて感覚は保護者世代にすらもうない。
今の保護者世代は「まわりの多くが何となく受けるらしいし親にも言われたから受けに行った(けど、あれ意味あったのかな)」と思っていた世代。
だから、先ほど書いたような大昔の絶大な影響力自体を知らない。
こういうこと一つとっても親世代から子世代に伝わる影響って大きいんだなと感じる。
かたや岐阜全県模試はぽっと出の新興模試ではなく、愛知県では既に有名な愛知全県模試で数十年ノウハウを蓄積している出版社が主催。
岐阜県に再参入した時期が上に書いたような世代交代の時期と合致したのは計算の上なのか、それとも偶然なのか知らないが、年々受験者数を伸ばして好調なようである(「ようである」と言うぐらいだから弊塾ではやっていない)。
塾用教材の出版社だからもともと塾にネットワークがあり営業もかけやすいのだろう。
昨日も書いたように回数が少ないのが最大の難点だが。
数年前、全県模試≒ベネッセ、岐阜模試≒全統という具合に今の図式を大学受験界隈の話にたとえた記事をここに書いた記憶があるが、今はそうした状況に近づいている。
この現状で敢えて岐阜新聞テストのいいところ探しをするなら
・実施日が基本的に統一されている(岐阜模試は統一されているが全県模試は塾によってバラバラ)
・夏以降に5回やっている(岐阜模試は7回だが入試直前の2月と春を除けば同じぐらいといえる。全県模試は3回(来年から春に増えて4回)しかない)
果たしてここから巻き返しはできるだろうか。
一度その地位を失った側が元の位置に返り咲くのはどんなことでもどんなことをしても相当難しいことではあるが、果たして。
これで巻き返しができたらNHKの「プロジェクトX」で取り上げられそうなぐらいである。
などと書いていたら、模試とは全く関係ないがこんな記事も見つけた。
入学9人、廃校危機から一転人気校に 「ニセコ高の奇跡」なぜ起きた | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20251113/k00/00m/040/121000c
こういうことも世の中にはある。
何が起こるのか、先は分からない。
・・・一度も塾として採用したことも対策をしたこともないのにここまでだらだら記事を書ける自分に感心する(苦笑)。
私たちの世代には(この仕事に就いていなくても)それだけ昔懐かしい模試なのである。
懐かしい昔の芸能人のような感じなのである(って最後は結局フォローが台無しに)。

