平和堂ノースウエスト店の閉店

弊塾のすぐ近くにある平和堂ノースウエスト店が閉店するという記事が今朝の朝刊に出ていた。
老朽化のため8月末で閉店するという。
塾生や近所のかたなどから先月ぐらいから話は聞いていたので驚きはなかったが、こうして公に表に出てくると改めて感慨が深い。

この塾ができた1997年当時、あそこは「ヤナゲンノースウエストショッピングセンター」だった。
その後、ヤナゲンが経営に行き詰まり平和堂に吸収されたあともヤナゲン時代の名前を受け継いで「ノースウエスト店」だった。
地元で「ノース」「ノースウエスト」などと呼ばれて親しまれてきた。
弊塾が建つこの土地も、もともとは「ヤナゲンノースウエストショッピングセンター」周辺に当時点在していた駐車場の一つになる予定もあったらしい。
という話を、この土地を買ったときに売り主の不動産屋さん(隣)から聞いた。
思えばヤナゲンノースウエストショッピングセンターができた当時は、道路を挟んで西側にも駐車場が複数あった。
今のソフトバンクの店があるところ、その裏の住宅、ちょっと南に行った中華料理屋(サンコック)のある辺りも実際に駐車場だった。
その後駐車場が徐々に縮小していく中で代わりに建物が建ったり、未だに空き地だったりしている。
「ノース」の北側にあるこの土地も、そうした延長線上で駐車場になる予定だったようだ。
その後どんどん駐車場が縮小していくことになる最初が、実は駐車場になり損ねたこの土地だったのかもしれないと思うと、これも感慨が深い。

さて、なんだかんだ言いながらノースウエストを中心に一つの「街」のようになっていたこのあたりがどう変わるのか。
大昔は弊塾の隣の神社ぐらいしかない、田んぼが広がっていた地帯だったという(その当時から南の交差点の「セルフ石油」はあったというからすごいものである・セルフのガソリンスタンドというものが世の中にできる以前から、店員が給油するが名前がセルフ石油だったという面白さもある(今もセルフスタンドではない))
私の子供の頃の記憶に21号線の向こう側(弊塾の方)のことがほとんどないのも何もなかったからかもしれない(私が幼い頃は21号線の南側に住む福田町民だった)
ノースウエストができたから周辺にも店が増えたという面はあろう(弊塾は特に意識はしていない。たまたまという感じである)

この先この周辺がどうなるのか。
このあたりからスーパーが消えてしまうので(宇留生地区にはもうないということになるか)、スーパーが来てくれるのが地元にとっては一番よいのだろうが、スーパーが撤退したところにスーパーが来るなんていうのは虫が良すぎる話かもしれない。
今でもじゅうぶん繁盛して儲かっているスーパーだったら、老朽化しようが建て替えたり改修したりして維持するはずであろう。

平和堂が旧ヤナゲンから引き継いだ店が、これで西濃地区からはすべて消えることになるという。
先日の駅前の旧ヤナゲン本店跡地とその周辺の再開発の話といい、時代の流れを感じる。


ヤナゲン大垣本店跡地周辺の再開発「第3街区」で想定変更 市民向け説明会で明らかに:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/1104508


昭和も平成もどんどん遠くなっていく。