吉兆だ

昨日、あることについて中3のある生徒に「あれは吉兆だ」(もちろん料亭の屋号ではない)という話を伝えた。
先日、彼が持ってきたあるものを見て、今は弊塾の伝説となっているかつての卒業生のことを思い出したのだった。
彼にとっては「この人、突然何を言っているんだろう」ということかもしれなかったが、励みにして頑張ってもらえるとよい。

これに限らず、毎年この時期になると27年間の卒業生の顔がどんどん思い浮かぶ。
毎年この時期が一番充実しているのだ。
卒業生との思い出の半分はこの時期2,3か月のものといっても過言ではない。

彼らにとってもそうかもしれない。

卒業生から「賢者の石」の話がすぐ出てくるように(賢者の石の登場前の卒業生、すみません)、この時期の印象が塾の思い出の大半かもしれない。
ああ、大昔の卒業生ならこの時期限定のものではなかったが「けんけんがくがく」(これは言葉の誤用と弊塾名に引っかけたタイトル。かつて生徒とやっていた生活の記録の交換。あれも楽しかった。彼らと私の負担を考えてやめて久しい)があったか。
既に今年の中3生(第28期生)とも多くの思い出が作られつつある。

さあ、あと少しだ。