大垣市内の小中学校は1/6が始業式。つまり冬休みはもう終わりましたが、賢学塾の冬期講座はこの3連休も続きました。特に中3生は、土日月と3日連続で朝から夕方までやりましたが、これは昨年までと変わらず(昨年の記事はこちら)。去年も書きましたが、日曜日(=岐阜新聞テストの日)も賢学塾は「通常通り」やりました。(去年と違い、今年の最終回はウチの塾からも岐阜新聞テストを受験した子が若干名いました。欠席分は振替補習で頑張ってくださいね。)
今朝の朝刊に、岐阜新聞テストについての記事がありました。今年は最終回までつつがなく実施されたようですね。記事によると受験者数は約13,000人とのこと。県内の公立中学3年生の合計が19,000人程度ですから、「受験率」は3分の2くらいでしょうか。以前と違い、最近は「県内の高校受験生のほとんどが受験した」とは記事にも書かれなくなりました。
岐阜新聞テストとどう向き合うかについては、このサイトでも過去に何度も言及していますので、今から書く内容はこのサイトによくいらっしゃる方には「またか」という話になりますが、そうでない方もいらっしゃるのでまた書きましょう(と言いますか、地味なブログだった10年以上前からこのサイトを覗いていらっしゃる方は、ごく一部のご兄弟の多いご家庭を除けば、ほとんどが同業者ばかりのような気もします(苦笑))。
ご存じのように、今の中学生の親御さんの世代くらいまでは、このテストが各中学校で実施され、結果によって受験先の高校が事実上決まっていました。それが校外模試となって四半世紀。受験率は特に県南西部を中心にじりじりと下がり(東濃や飛騨はたぶん今も高いと思います)、今や第4回(最終回)でも3分の2に届くかどうかという状態になったわけです。それでも県内で圧倒的な最大規模、これだけ多くの人数の中3生が受験する統一模試は他にありませんから、今なおその存在価値はあると言えるかもしれませんが、問題はその受験層にあり、特にこの西濃学区においては、上位層の大半が受験しません(某塾が典型的ですが、実はウチの塾でもそうです)。つまりうっかりするとその平均レベルは学校の平均レベルよりも低くなってしまう可能性もないわけではないということです(学校の実力テストは成績の上下関係なくほぼみんな受けますからね)。校外模試=受験に前向きに取り組む生徒が受ける=みんなが受ける学校内のテストよりもレベルが高い、という定式は、完全に成り立たなくなっているということです。今回の結果が返されたら、ウチの塾生で受験したお子さんたちにも、その点は説明しておこうと思います。
かといって、このテストで結果が出なかったからといって落ち込む必要もありません。世間では(さすがに少数派になったと思いますが)今でもこのテストの過去問題を熱心に研究し、また熱心に取り組ませている同業者の方もいます。そういう塾に通うお子さんたちは、もちろんこのテストに向けて準備万端の状態で臨みます。結果、この模試に(だけ)強いお子さんもぽつぽつ発生します。それに対してこの塾のお子さんたちはそうした対策は一切行っておりません(過去問題にも取り組んでいません)。もちろん、どんなテストであっても結果が出せるのが真に実力がある状態とは言えますが、準備して対策して、場合によっては出題予想までして来ている(それがまたパターン化しているために教科によっては当たる可能性が高い)お子さんたちと同じ土俵で戦うのは酷な面もあるでしょう。そういうわけで、このテストの結果で志望校の圏外にいたお子さんに、諦めないで受験するよう勧めた例は、過去にもたくさんあります(し、もちろん合格しています)。
そもそも、「模試」の「対策」とはどういうことなんでしょう。高校でも全国模試の対策など当たり前のようにやっていますから、世間の認識を標準とすれば、当方が「ずれている」んだろうなとは思っていますが、模試は本番のための予行演習であり、今の実力を測るものですから、本番に向けて学習するのは当然としても、模試そのものに向けて学習するというのは、たとえて言えば「今度の避難訓練のために訓練する」というようなもので、私には大変滑稽なものに映ります。もちろん、避難訓練のための訓練でも、本当の避難のために意味のあるものになっていれば何ら問題ないのですが(訓練は重ねたほうが身につく面もありますし)、そういう屋上屋を架すような行動では往々にして本末転倒が起こり、つまりは「避難訓練で粗相しない、みっともない状態を作らない」ための(現実の避難とはかけ離れたところにこだわる)訓練のための訓練になってしまうこともあります。この場合で言えば、模試の対策というのはまさにそれになりやすく、実際の本番入試とはかけ離れた、その模試に適応するためだけのトレーニングに陥っていれば、それは実際の入試にはあまり役に立たないということです。岐阜新聞テストの例で言えば、あのテストは本番の公立高校第一次選抜の学力検査とは出題傾向・出題形式が異なります。模試は模試として、たとえば模試の過去問演習も数ある学習の一つとして並行してやっていれば(復習するための一手段としてやっていれば)、あまり問題はないでしょうが…。
岐阜新聞テストそのものが高校受験を語る上で相対的な存在となって久しく、かつその地位をじりじりと下げている今日、かのテストの結果を今でも絶対視するのは全くおかしな話だと私は考えます。様々なテストや内申点を総合的に検討して志望校について考えるのがごく自然であり、岐阜新聞テストもその中の要素の一つでしかありません(あまり「絶対視」されては主催者だって困るでしょう)。昨年の混乱で多くの同業者から「進路指導をどうすればいいのだ」という悲鳴が上がっていたようですが、時代はどんどん変化しています。そろそろ四半世紀前までの思考形式から抜け出してはいかがかなと思う今日この頃です。