ノーベル平和賞

先日、日本の被団協がノーベル平和賞を受賞した。
被爆者の皆さんの「核兵器のない世界」を目指しての長く地道な活動が評価されたということのようだ。

今も地球には人類を何回も全滅させることができる核兵器がある。

この核兵器の生産・維持・管理に費やしている資源(人・金・モノ)の幾ばくかが人々の暮らしの向上のために注がれたら、世界の各地に残る貧困問題が解決するのではないかと思う。
本当に無益なことだ。

私が子どもの頃、米ソ冷戦は自分が生きている間には終わらない戦いなのではないかという、一種の絶望があった。
冷戦が「終わる」ときには全面核戦争があって、結局は人類が終わってしまうのだろうと思うと戦慄した。
それぐらいの緊張した状態だった。
旧共産圏の国々の情報は限定的にしか入ってこなかったから、その得体の知れなさがさらに恐怖を増幅させた。

しかし、やがて冷戦は終わった。

20世紀の東西冷戦は終わったが、いま米露は再び緊張状態にあるし、世界各地で起こる戦火も絶えることがない。
子どもも含めて大勢の一般人が犠牲になっている。
そして核兵器が使われるかもしれないという危機と隣り合わせの状態だ。
「核の抑止力」などと言われるが、核兵器のない世界を絵空事にしてはならないと改めて思う。

広島・長崎で犠牲になったみなさんの無念を、忘れてはいけない。
一瞬にしてその後の人生が変わってしまったみなさんの艱難辛苦に思いをいたさなければならない。