♫今日は楽しい解き直し
タイトルが季節外れ。
まだ3月ではない。
それはさておき、先日は学力テスト反省会であった。
一人ずつ前に立って「私は~この学力テストで~」と反省を述べる会ではない。
弊塾恒例の学力テストで間違えた問題の解き直し会である。
以前書いたように「前テスト・後講習」にした関係で今年は2回やることができた。
AIを駆使した効率的学習が喜ばれる時代、解答や解法を教えてしまえばさっと終わることを、本人が試行錯誤して正答にたどり着いてもらう弊塾のスタイルはここでも変わらない。
私はそのサポーターである。
学習量が多くなる高校生以後で特に自学自習する場面では「解答から遡って経路を考える」「正答からプロセスを迎えに行く」学習は大いにある。
というか、そっちの方が普通になっていくだろう。
それでもやはり正答を追って終わっていては学習にはならない。
正答に向かって「なんでやねん」と思いながらプロセスを自分なりに考えて咀嚼する作業が欠かせない。
自分なりの答案の書き方までアレンジできれば上等な学習になるだろう。
そういう学習者になるために、中学校までの学習で試行錯誤の過程をたくさん経験することは、高校以降の学習でも必ず生きてくるはずである。
さて、肝心の学力テスト反省会。
解答を自分で考えて正答を持ってくる子ばかりでは当然ない。
間違えたのだから当然である。
解答を自分で考えたが同じ答えにしかならないと訴える子、自分では手がかりもつかめずヒントを求めに来る子など、さまざま。
だいぶん前に広告にも書いた覚えがあるが、弊塾は「積極的対話主義」を採用しているので、じっと考え込んでかたまっている子にはこちらからどんどん声かけをしてヒントをぶつけたり、まず彼らが越えられそうな易しいところにハードルを設けて問いかけをしたり。
もちろん自発的能動的に学習できる子になってもらえることが理想。
だが、彼らの質問を待っているだけではないから「うちの子は質問ができない子なんです」という場合にも放っておかれることは全くない。
この前のマックの私ではないが「かたまっている子」ほど逆に私に「ロックオン」される。
そもそも「質問ができる」というのも一つの能力。
フリーズしてしまう子には弊塾で過ごす中で「質問ができる」子になっていってもらいたい。
というわけでいろんな子がいるが、こちら側は教壇の前に立って授業しているときよりも圧倒的に「面白い」。
一人ひとりのつまずきが手に取るように分かるし、対話して問答する中でその子の考え違いや間違えやすいパターンも発掘できる。
定期テスト前のテスト対策学習会のときも対話と問答が中心になる。
中3でいえば入試対策質問学習会もか。
最初から最後まで対話と問答のこういう機会のほうが、彼らの試行錯誤にじっくり寄り添ってともに正答に向かっていく弊塾らしいスタイルだなと思う。
この「じっくり」というのが「タイパ」を求める今の時流とは違うだろうが(1時間程度の区切りではなかなかできないスタイル)、表面的にはタイパが悪くても、学習の深みで圧倒できる学習だと私は思っている。
ずっとやってきたことで今さら変えたことでもない。
だから昨今「課題解決能力」だとか「問いを立てる力」だとか叫ばれていることは、私にとって何にも新鮮さがない。
結局のところ人の学びの本質というのは、どのような時代になっても変わらないのだなと思うのである。

