高校生のタブレット端末の負担の話
以前、岐阜県では来春(2026年春)入学生から自己負担に転じることが報じられた高校生のタブレット端末。
今後も公費負担を続ける県があることは知っていたが、隣の県(福井・石川)がそうだったというのは初めて知った。
同じ北陸でも富山県は既に今年度から保護者負担だという。
石川県については能登半島地震の被災地域を抱えているという事情もあるようだ。
県立高の学習端末、福井、石川は公費で更新 富山は自己負担に転換:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASTD84QDVTD8PJLB00KM.html
石川県教委によると、今年9月に各都道府県に更新費用について照会したところ、保護者負担が35都道府県、公費負担が6府県、未定は石川県を含めて6県だった。
この問題は難しくて、タブレットを使った学習の是非や懸念をめぐる論争はとりあえず横に置くにしても
1.高校は義務教育ではない。
例えば義務教育の教科書は無償となっているが高校生は教科書代も払っている。
2.授業料負担については国の就学支援金制度で無償化が実現して高校生家庭の負担は軽減している。
既に今年度(2025年度)から公立高校の授業料負担分(年約12万円)は所得制限無しで無償化されている。来春から始まるのは私立高校も含めた所得制限無しの無償化。
という見方もあるだろうが、
3.授業料の無償化のメリットが減少?教育の格差はどうなる?
タブレット端末は無償貸与で始まったものが有償化される流れであり、保護者世代が高校生のときには当然なかった負担でもある。
また金額的に高校授業料無償化による恩恵の3分の1~6分の1を減少させる計算にはなる。
年間約12万円(×3年間)の公立高校授業料は無償化したが、タブレット代6~10万円(岐阜県想定)が来年度入学の生徒から有償化なので。
また各自で調達したり持参したりするタブレットは高校側の指定の枠内であっても性能が違うはずで、その格差が現場で生じないかも気になる(かといって学校で全く同じ機種が指定された場合にはそれはそれで負担が厳しい家庭も出てきたり既に同程度のタブレットを持っている生徒は二重負担になる問題もある)。
また、都道府県によって補助の有無や金額に差が出ており、地域間の格差が生じることにもなっている。
4.教育全般の無償化・負担軽減化の流れからすると、有償転換は流れに逆行して見える。
義務教育では給食費が2026年春から全国の公立小学校で無償化される方針で、自治体によっては無償化をさらに教材費などへと拡大しているところもある。義務教育ではない高校の授業料も公立・私立ともに「無償化」されることになった。大学についても多子世帯だけだが授業料の無償化が始まっている。そういう流れとは逆方向。
5. 端末の維持メンテナンスの問題が在学中ずっと生徒家庭にのしかかる。
自己負担・自己調達となる場合、故障時の修理費用や更新時の対応など、運用面での不安が3年間つきまとう可能性もある。
という指摘も考えられる。
頭の体操でこれを通学用の自転車(もちろん自己負担であり公費負担せよという議論も聞かない)に置き換えて考えてみたのだが、
・通学用の自転車は高校に3年間通った後も使えるが、タブレットは5年後10年後にはほぼ使えない代物になっている
・だから自転車は上の子のお古を使うというシチュエーションも容易に想像できる一方で、タブレットではそれは難しい。
・同様に最近各地で見られる高校生支援のための制服リユースのようなこともタブレットでは難しい。
国からの交付税による財政支援は当初(2020年度あたりから?)のコロナ禍の頃だけだったようで、公立高校生について今後も公費負担を継続するなら都道府県の負担となるようだ。
つまり都道府県の財政に直結する。
記事によると石川県も福井県も10億円程度を見込んでいると。
(岐阜県は約68億円という岐阜県教委の試算が毎日の記事に出ていた。人口の差を超えて違いすぎると思うのだが、どう計算が違うのかは不明)
都道府県のお金の使い方をめぐる政治問題。
ということで意見が様々になるのも当然。
教育関係に使うかそれ以外に使うかという論争もあろうだろうし、同じ教育関連でも他にお金を使いたいという意見もあるだろう。
例えば端末の無償貸与より公立高校そのものの魅力向上のための施設更新や充実等にお金をかけたいとか。
来春(2026年春)からの私立高校も含めた授業料無償化で、公立高校にとってはそちらもまた急務になっている。
理想を言えば公立高校生のタブレット端末は無償貸与のままで公立高校の施設も更新・充実させてほしいのだが、なかなかそういうわけにもいかないだろう。
予算は有限である。
・・・とだらだらと書いた私自身、この件についてどっちが正しいということは断定的に論じかねるので、煮え切らない話になってしまったのだった。

