これから記すのは不覚にも脳幹出血を起こしてしまい、約2か月の入院生活ののちどうにか生還することができた中年男の実話です。同じ病で苦しむみなさんの何かのお役に立てればと(うちの家族も私が不在の間、脳幹出血で検索しまくったそうです。私は寝ていたので知りません。)、ここに自分の体験を記します。
いつも通りの(ちょっとだけ頑張った)早朝
それは世間がコロナ禍で揺れる年末、クリスマスイブの早朝に起きてしまいました。
休みの前(当日)の朝
その男、特に予定はありませんでしたが、この日を本格的な冬期講座に入る前の憩いの日として休みにしていました(後から家族に指摘されたが、それが結果的には本人不在の塾の「後始末」に若干の猶予を与えて良かったようです)。
シチューの晩飯
その日の「晩飯」はシチューでした(のちに吐くことになるとはこのとき思っていなかった)。私はいつものように家族が作りおいてくれていたそのシチューその他の食事を晩酌しながら胃の中に入れ(通常ビール3本程度。自分ではこれでも若い頃からは減ったなあと思っていたあの頃)、その後、老父が起き出してくる時間帯(要するに早朝)まで食べていた。
よろけた瞬間・遠くに聞こえる救急車の音
食事の後は風呂というのはいつもの通り。私はトイレによった後、風呂に行き、上がった後いったん脱衣所でパンツだけはき、風呂場に戻って窓を開けた(湿気防止のため)。その瞬間、からだがよろける。手すりなどにつかまってなんとか体勢を立て直して脱衣所に戻るが、からだがおかしい。立て直せない。その場(脱衣所)に倒れ込んでしまった。それでもなんとか立て直せないかと一人もがくがもうできない。仕方なく叫び声にもならないうめき声を上げる。異変に気づいた2階の老母が脱衣所を開けたらパンツ1枚の息子が倒れてうめき声を上げている。この瞬間、老父は「脳卒中・半身不随」と思い(親族に経験者がいた)、そう口にしていた(のは遠くなる意識の中、聞いていた)。ほどなく救急車が来て運ばれるのだが、その途中、家の外に出たところで吐いている。そう、さっきのシチューその他だ。救急車に乗せられたのも覚えている。その乗り心地がよくなかったことも、おなじみのピーポーピーポーの音とともに記憶にある。次第に混濁する意識の中、病院に着いたところまではなんとなく記憶にある。その後、検査されたことも。次の記憶は病室の中、酸素マスクをつけられ寝ているところだった。
血圧・上がなんと220も
ここからは後で聞いた話だが、担がれたときの私の血圧は上が220を超えていたそうだ。高血圧で悩む老父も見たことがない値。私も後にそれを聞いて戦慄した。独立して20年以上、公的な健康診断にも行かず(行くように促すお手紙は町からも来ていた)それまで血圧など測っていなかった(家に老父が使っていた血圧計はあったのだが)。