給食委員

新年度の学級の役割決めとか終わったの?ときいたら、ある子が「給食委員になった」と。
給食委員、自分が中学生の頃からあったような気がするが、何をするのか覚えていない。
美化委員とか生活委員とか思い出すとそういえばいろいろあったなあと。
今もあるのだろうか。
  
  
  
  
Kengakujukulogo2023  
  
  
  
  
高校に入ったらそういうものもないのかなと思ったら、中学校のようにあったときには軽く驚いた。
高1・高2の間はそういう委員会などの役になるべく当たらないよう、クラスの話し合いの間はできるだけ静かにおとなしくひっそりしていた。
難航して、「まだ何もやったことがない人~」なんて話になりかけたときには緊張が走った。
ウソをついてまで逃れるつもりはなかったので、そうなったときは覚悟しなければならないと(普段、いろいろ目立っていたくせに)ひたすら静かにしていた。
で、そうやって息を潜めて「嵐」の通過を待っていたら、なんとか役がすべて決まっていて、その瞬間ほっとしたものだ。
  
   
  
  
Kengakujukulogo2023  
  
  
  
  
そんな私だったが、高2の終わりから事態が急変する。
それは3年生になろうかというとき、友人が生徒会の副会長に立候補するというのでその推薦責任者をやったときから始まった。
  
彼があのとき立候補した動機は今も分からない。
  
そういうことをしそうな人間ではなかった。
それはともかくその友人は無事に当選したが、執行部の組閣にあたって生徒会役員をやってくれそうな知り合いがいないという。
会長に当選した者はもともと生徒会活動周辺に関わっていた上、知り合いや同じく生徒会活動に首を突っ込んできていた知人でかためたいようだという。
このままでは生徒会執行部で一人ぼっちになってしまうので心細いから私に入ってほしいと。
  
  
  
  
Kengakujukulogo2023  
  
  
  
先述したようにそれまで高校で生徒会活動どころか委員会一つ入っていなかった人間だったので大変戸惑ったが、当時私にとっての一番の友人だった彼の誘いは断れず、生徒会執行部に入ることになった。
  
  
文化委員長。
  
  
3日間かけてやっていた北高祭(今もそうなのだろうか。知らない)の最初の2日間の文化祭を取り仕切るのが(最後の1日は体育祭だ。体育委員長管轄)仕事のほとんどという役職だった。
こうして私は当時、前期の終わり頃に行われていた北高祭にかかりっきりになる。
ある意味人生の転機だった。
あの高3の前期、真面目に勉強一本に励んでいたら今頃どうなっていたのかは分からないが(苦笑)、いい思い出になった。
細かいことをあげれば途中いろいろあったにはあったが、総体で見れば楽しいものだった。
もう何十年も前の思い出である。
時が経つのは本当に早い。
  
  
  
  
Kengakujukulogo2023