「桜の名所」があまり名所ではなくなっている。
私が子供のころに一時期住んだことがある墨俣。
犀川堤の桜は旧墨俣町時代から町の名物となっていた。
桜のころには私が子どもだったころから現在も屋台が並び、お祭りである。
小学生のころ、あの桜の木を描きに図工の時間に校外に出てみんなで出かけた思い出がある(「出かけた」と言っても小学校のすぐそばだ)。
町にも桜にちなんだものが多い。
高校入試との絡みでいえば、墨俣にある「大垣桜高校」の名前もまさにそれだ(むかし大垣桜高校は大垣女子高校という名前であった)。
ところがいま、主役の桜の木に元気がないものが目立つ。
昨年見に行ってがっかりしたので今年はわざわざ見に行くのをやめた。
がっかりしてしまったのは昔の桜の思い出を美化した私の思い違いかもしれない。
が、実際のところ老木が多くて枝振りがよくなく、枝があっても以前ほど花をつけていないように思う。
同様に各務原の新境川堤も有名な桜の名所だが、先日出かけてみたらこちらもかつてほどではなくなっていて他の地方の人に自慢できるほどの名所ではなくなっている。
それに対して大島堤(岐阜協立大学から神戸町のほうに伸びている輪中堤。この輪中堤は神戸から先もつながって最後はぐるっとまわって東赤坂駅のあたりまで続いている)の桜は(自慢はしないけれど)今年もよかった。
ここもいずれ老木ばかりになるのだろうが、今はまだ木が元気だ。
もっと盛り上げて派手に桜祭りでもやれば花見客を十分呼び込めそうだと思うが、今のそれほど賑わっていない状態のほうが、こちらは散歩ついでにのんびり桜を見られるのでそれでいい。
余計なことは書くまい(苦笑)。
私が書かなくてもいずれ人々がそれに気づいて人の流れが大きく変わるときが来るのだろうか。
その前に「名所」のほうが何とかするかどうか。
桜の名所とされたところでも手入れを怠ればいずれこうなってしまう。
塾も同じ。
長いことやっていることは自慢にもアピールポイントにも何にもならない。
それどころかむしろ新しいほうが好まれる傾向にあるのが塾。
そもそも塾の歴史というのはいま来ている子たちには基本的に関係がない。
今の塾がどうかということが常に問われている。
そのことを肝に銘じて今日も教室に入る。