前の会社にいたときの話。
賢学塾を設立してもうすぐ満14年になるわけですから
それよりもさらに昔の話です(今の塾生たちが生まれるよりもさらに前ですね、そう考えると恐ろしいなあ(笑))
ありがたくもこの若造に校舎の責任者を任せていただき、
(当時は私も若造でした(当然か)。まあ今でも「ある意味」若造なんですけど(苦笑))
赴任して最初に生徒の前に立ったのは、新中3生の授業でした。
当時、そこは荒れ放題で社内でも問題になっていた校舎。
着任前に数回下見にも行きましたが、
授業は生徒たちの私語でうるさく、壁には落書きだらけ。
教室を覗くと、あちこちに「私語厳禁」とか
「宿題はきちんとやろう」といった掲示が。
何という皮肉。
目の前の光景とのあまりの対照性に
私は苦笑せざるを得ませんでした。
まあ、静かできちんと宿題をやる子たちばかりなら
そんな掲示は要らないわけですけど。
だからそんな掲示は賢学塾には一枚もないでしょ。
そもそもそういう掲示があるということは
それで困っている現実がある(あった)ということですから
皮肉な光景でも何でもないのかもしれません。
それを逆手にとれば、例えばこのブログの読者の方が
塾(や学校)を訪れたときのチェックポイントになります。
「私語厳禁」と書いてあれば「私語が多いんだな」ということですし、
「携帯電話を持ってこない」とか「電源を切りましょう」とか
張り出してあれば、
それは携帯を持ってくる子がいる(いた)ということで、
しかもその携帯電話で問題が発生したのだろうということです。
賢学塾生は誰も携帯など持ってきませんから
塾で携帯をめぐる問題が発生したことはなく、
そういう掲示も全くないわけです。
まあ、問題があっても放置しているところもあるかもしれませんが(苦笑)
そうなるともう上中下なら「下」のレベルですけどね。
閑話休題。昔話をしていたのでした。
十数年前の前の職場、校舎の責任者として
私が初めて赴任したときの話です。
何とかしなければ、と意を強くして乗り込んだ私。
最初が肝心と、挨拶に入った教室で真っ先に、
「私語厳禁」と書かれた掲示の一枚に手を伸ばして剥がし、
彼らの前で派手に破り捨てました。
「こんな掲示は要らないから捨てる。
こんなの張ってあってもしゃべる人間はしゃべるし
だいたい見ていて気分のいいものじゃないし希望も夢もない。
だから剥がす。
授業中に私語をしないなんていう当たり前のことを
なんで書いて張っておかなくてはいけないんだ。
勉強に来ているんだ。そんなの当たり前だろ?」
そんなことを言った覚えがあります。
若かったですね。もう二十年近く前のことですからね(笑)。
今思い出すと青春ドラマっぽいですね。
私の着任後、その校舎の荒れはすぐに収束しました。
それ以前の掲示の数々はすべて破棄し(黄ばんでよれよれのものも多かった)、
代わりに楽しい壁新聞や地図などを張って、
教室を明るく賑やかな感じに仕上げました。
そののち退社して、この塾を開いてからも
ルールの類を掲示したことは、ほとんどありません。
そもそも、何か問題があったとして、
塾生というある決まったメンバーが集団で生活する場で
ルールを徹底させようというのに、掲示など必要ないのです。
相手がはっきりしているわけですから、
機会あるごとになぜそういうルールがあるのか
説いて聞かせればいいわけです。
そしてそのほうがお子さんたちのためにもなります。
ルールをとにかく守らせるように意識付けをするよりも
どうしてそういうルールがあるのかを理解させることの方が
彼らの将来の思考や行動の足しにもなります。
「先生の言うことだからとにかくちゃんと聞く」というレベルで
止めておいてはいけないのです。
それでは「先生」がいなくなったときに全く役に立ちませんし
彼らも成長しません。
幸い、ウチの塾生は全体としてリテラシーが高いと思います。
どうしてこのルールがあるのかと聞かれたら
ちゃんと答えられる子の方が多いです。
そういう子たちは背景を説明されていないルールの先も
考えて想像しようとするので、
簡単にルールを破るようなことはしないし
逆にルールだけにこだわって
臨機応変に対応できないというようなこともないんですね。
この話は続きがあるので、
また別の機会に書きましょう。