手先が不器用になる子どもたち


手先が不器用になる子どもたち、「驚くべき異変」を専門家が危惧 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/040800186/

“現代の子どもたちは、重要な「微細運動能力」を失いつつある。微細運動とは、靴ひもを結ぶ、ペンで字を書く、物を積み上げるといったときに必要な、細かく正確な動きのことだ。”

“スクリーンタイム(画面を見ている時間)、生活習慣の変化、子ども時代の体験の変化といった要因が複雑に絡みあった結果だと専門家は指摘する。”

“スマートフォンやタブレット端末、電子書籍、テレビなどの画面を見ている時間は、子どもが何かを作ったり組み立てたり、絵を描いたりする時間を削る。そうした端末を使った算数の学習やデジタルアートの作成は、教育効果はあるが、書く、切る、色を塗るといった動作に伴う細かな運動能力を育てることはできない。”


私自身、子どものころから図画工作も美術も技術家庭科も苦手な子だった(美術で5をとったことはないし、技術家庭科も「実習頑張ろう」と書かれてぎりぎりの4をとるのが定番だった)
今でも「器用」かといわれたら「否」と即答できるほどだが、そういうレベルの問題ではなさそうである。

教育の現場にタブレットが入り、その活用が当たり前になっている今日。
今後さらに利用が促進されることは既定路線であり、見直されることはないだろう。
かつてテレビがパソコンがインターネットが登場したときがそうであったように、今さらそれを否定して時計を逆回転させること
はおそらく無理である。
塾の世界でも、(弊塾はいまのところ全く利用していないが)業界全体ではタブレットの利用はどんどん進んでおり、タブレット学習だけを謳う個別指導(といっていいのか)の塾だけでなく、表向き集団授業の進学塾という体だが実際はタブレット学習が多いという塾もあるという話を仄聞する。
塾にかかる最大経費は人件費。
まして今は人の確保そのものも難しい時代。
タブレットの利用は「効率的」な塾運営による人件費削減には貢献しているようである。
じゃあ弊塾がそれを真似するのかといったらそれは明確に否である。
チェーンのラーメン店がやっているメニューに関する合理化策を町の小さなラーメン店が取り入れて成功するかという話である。
もちろん出す商品以外の部分で(ラーメン店で言えば会計を食券にする、その券売機の決済を電子マネー決済オンリーにするなど)合理化を図れるところはあるのだろうが、出すラーメンそのものに手をつけて麺やスープで大手の真似をしたらその店の哲学も存在価値もなく、客がその店を選ぶ意味がなくなる。

弊塾は「書くこと・読むこと」を重視してきた。
人と人との「対話と問答」を重視してきた。
新しいものを単に拒否するという姿勢ではなく、上手に取り入れて時代に応じた指導を追求していくことは大事だが、根本思想は今後も変えないつもりである。