手で文字を書くことは大事だ、という主張が先日紹介した記事にもあった。
30年近く「書くこと」にこだわって塾をやってきたものとしては何だか救われた思いだった。
現代社会は手で書くよりも、キーボードで打ち込む、スマホでフリック入力する、そして音声入力するほうが早くたくさん文字にできて、実社会ではそのほうが文字を表現する際の標準になっているだろう。
そのおかげで、数百年前の人には考えられなかっただろう量の文字が日常に溢れている。
そしていつでもだれもが活字が打ち出せる世の中。
ほんの数十年前までは考えられなかったことだ。
実際、私も今こうしてキーボードで文字を打ち込んでいる。
しかし、仕事で日常生活で手で文字を書く場面がどんどん消えている今こそ、トレーニングとしての「手で字を書く作業」は決意をもって守らなければならないと思う。
子どもだけではなく大人も同様だろう。
子どもの世界に関していえば、勉強の効率化の旗のもと、学習している子どもから書く作業を奪うことは、体育分野で「子どもにかけっこは要らない」「子どもに身体を動かすことは不要」といっているようなものだと私は思う。
身体同様に、頭脳もまた基本的鍛錬を疎かにしてはいけない。
重労働から解放された現代人が、体力が衰えないようトレーニングジムに通ったりして運動しているのと同じことで、手で字を書く事務から解放されたいま、代わりに手で字を書くジムが必要な時代かもしれないと思うほどだ(字を美しく書くための書道教室という意味ではなく。もちろん書道も大切)。
大人でさえもそういう時代だと思う昨今、成長途中で発達段階の子どもに関してはなおさら手書きが重要になってきているのではないか。
そんなことをぼんやり思いながら、先日の授業で「定期テストの反省」を書いていた塾生たちを見ていた。
皮肉なことに、粘り強くよりたくさん反省を書いてくる子のほうが成績がよい傾向にある。