子どもの学力低下は「想定内」 探究学習の陰で軽視された知識・技能 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20250916/k00/00m/040/153000c
想定できたのは理由がある。学校外での勉強時間の減少が近年続いていたからだ。
もう一つ、海外で盛んな議論だが、デジタル環境の影響もあると考えていた。
そう思っていたので、日本だけがどうしてPISAで上位を維持できているのか、不思議だった。だから、今回、スコアが低下したことで「やはり」と感じる部分もあった。
デジタル環境の影響は手を焼く問題になるだろう。
ごく基本的な知識・技能を測る問題で、習得にほころびが見られた。現行の学習指導要領が重視する「思考・判断・表現」を強調した授業の悪い面での影響と言えるのではないか。
探究的な学びは理想だが、その陰で知識・技能の習得がおろそかになっている層があるのかもしれない。
「理想」の探究的学びをするためにはある程度の基礎が必要だと思うし学習への向き合い方がより大きく結果に影響するように思う。
そういう意味で今の「探究的学び」は かつての「ゆとり教育」と同様に学力格差を助長する方向に働いているのではないか。
このインタビュー記事は文部科学省で「全国的な学力調査に関する専門家会議」の座長を務める耳塚先生のものだが、「想定内」でかたづけられてはもう一回小中学生をやるわけにはいかない子どもたちはたまったものではない。
だが「知識・技能の習得がおろそかになっている」ことに正面から向き合って文科省自体も動いてくれるのなら、かつての「ゆとり教育」の失敗の轍を踏むことなく「探究的な学び」を追求する道を探ってくれるだろうと思うのは甘い見通しか。
勢いに任せて書いたが、そういう行政さらには政治の大きな話は手に余るのでひとまずこのあたりで置く。
この記事の行間からも分かるのは「学力をつけるのも自己責任」という「ゆとり教育」から顕在化した基調が学習量が戻った今も続いており、自分から動かなければどんどん置いていかれてしまうということ。
基礎的学習がおそろかになったらどうなるか。
生涯学習の時代、「大人になって『あれを学んでおけば』と思ってからでは遅い!」なんてことはない。
大人になって「学んでおけば」と思ったときからでも学び直せばよい。
だが、学び直すためにもその前提となる基礎的な力は必要だ。
そしてそれを身につけておくのが小中学生のうちだということは忘れてはならない。
大人になるまでに積み上げた学びを活かしたり、大人になって不足を感じるところを学び直したりしながら、子どもたちにはたくましく生き抜いてもらわなくてはならない。
そのための「たくましい学力」を社会に出る前につけておくのが大切だ。
単に勉強量を多くするとか、熱心に教えるとか、そういう問題ではない。学習支援という言葉でくくられる範ちゅうを超え、生活圏や想像力の世界を広げる機会を設けることが大事だと思う。
この部分、弊塾でもいつも言っていることと方向性は同じだと思った。
机に向かっている時間だけが勉強ではない。
生活のあらゆる場面で考えて行動するようにしないと賢くなれないのだ。
塾の人間がそんなことをいうのはおかしいのかも知れないが、真実だから仕方がない。
机に向かっている時間や教室にいる時間だけ頭を使ってそれ以外の時間は頭のスイッチを完全にオフにしてしまうのは、部活の時間だけ運動して家に帰ったらポテトチップス片手にごろんと横になってスマホでYoutubeをだらだら長時間見ている運動系の部活の子のようなものだと塾でよく言っている(もちろん適度な休息は必要)。
基礎となる学力というのは知識や技能だけではない。
学習との向き合い方というか学びに対するbehavierも大切な要素だと思っている。
子どものうちにそれを確立しておかないと、大人になって学び直すにしても苦労する。
いつもそうしたことを思いながら彼ら塾生と接している。